イラク撤退時期盛り込んだ法案が上下院で可決
(2007年4月29日作成)
イラク駐留米軍の撤退時期を盛り込んだ戦費の補正予算案が4月25日、米下院を、26日には上院を通過した。ブッシュ大統領は、拒否権の発動を明言しており、戦争の方向性を巡り民主党与党の議会と、大統領の対立が激しさを増している。
法案は、イラク・アフガニスタン戦争の戦費950億ドルを含む1240億ドルの補正予算に加え、①イラク政府が治安回復、政治和解などの目標を達成しない場合、7月1日までに撤退を開始し、その後6ヶ月以内に撤退を完了する、②イラク政府が目標を達成した場合、10月1日までに撤退を開始、6ヶ月以内に撤退を完了することを求めている。
下院は賛成218票(民主党216票、共和党2票)反対208票(民主党13票、共和党195票)で、上院は賛成51票(民主党48票、独立1票、共和党2票)反対46票(民主党0票、独立1票、共和党45票)で可決した。いずれも、大統領が署名を拒否した場合、それを覆して法案を成立させるために必要な3分2以上の賛成がないため、この法案は国民の苛立ちを伝える象徴以上の意味は持たないが、ブッシュ政権がさらに苦しい立場に追い込まれるのは必至だ。
上院の法案可決直後のホワイトハウスの記者会見では、ダナ・ペリノ報道官は政権が国民の声をどう受け止めているかついての厳しい追及を受けた。CBSのジム・アクセルロード記者が、約64%が撤退期の限設定を望んでいるというCBSとNBC・ウォールストリートジャーナルの世論調査への反応を求めると、ペリノ報道官は「米国民が、戦争に疲れ、不安、苛立ちを感じ、撤退を望んでいるのは理解している。しかし、大統領は最高指令官として、イラクの政治和解に必要な機会を与えずには撤退しないという原則に立って政策を決定している。大統領はどうすれば人気を得られるか知っているが、世論調査の上がり下がりに基づいて政策を変えたりしない」と述べた。さらにアクセルロード記者が「人気の有無が問題ではなく、国民は政策の方向性に懸念を抱いており、大統領の政策と国民の意見の隔たりは拡大するばかりではないか」と訊ねると、「早期撤退が賢明な政策でないと信じているのは大統領だけではない。(イラク駐留米軍最高指令官)ペトレイヤス将軍、イラク研究グループ、National Security Estimate(情報機関による年次報告書)も同意見である」とペリノ報道官は切り替えした。
ブッシュ政権は、今年2月にイラク情勢を打開しようと米兵の増派を発表、少しでも治安を回復し、イラク・マリキ政権が政治課題に取り組む“Breathing space”を与えようとした。増派の成果が出るまで時間を稼ぎたいブッシュ政権は、議会の票決を前に、ペトレイヤス将軍を急遽バクダッドからワシントンに呼び寄せ、議員への説明に当たらせた。ペトレイヤス将軍は、宗派対立による殺人は1月と比べ3分2減少したが、全体としては暴力の鎮圧には至っておらず、イラク治安部隊の育成も進行中であるとした上で、「米兵を秋までに減らせば、宗派間の武力衝突はさらに激しくなるだろう」と警告した。
解決の鍵は、本質的にはすべてマリキ政権にかかっているが、状況は芳しくない。当面の最重要政治課題は、①石油収入の分配に関する法律の成立、②旧バース党員(スンニ派)の追放政策の改善、③地方選挙の実施だが、マリキ政権の政治基盤は弱まりばかり、議会は派閥に分断され、米政府への不信も深まっている。情勢が今後改善すると信じるにたる根拠は乏しく、米軍は嵌った泥沼にさらに深くゆっくりと沈んでいく可能性が高い。
参考:
Senate sends war timetable to Bush’s desk: As funding Bill heads to likely veto, talks on revised legislation begin, April 27, 2007, WP.
US commanders says fall pullback in Iraq would lead to more sectarian killings, April 27, 2007, NYT.
Baghdad’s fissures and mistrust keep political goals out of reach, April 26, 2007, WP.
War bill passes House, requiring an Iraq pullout, April 26, 2007, NYT.
「開戦前に、イラクの脅威について真剣な議論はなかった」ジョージ・テネット元CIA長官が、回顧録で批判
(2007年4月29日作成)
9・11とイラク戦争開戦時にCIA長官だったジョージ・テネットが、近く出版する『At the Center of the Storm』(HarperCollins 2007年5月 549ページ)の中で、イラクの脅威について、開戦前に政権内で真剣な議論はなかったと述べ、チェイニー副大統領らのイラク戦争の遂行を批判した。同書は政権内部からみた9・11への対応とイラク戦争開戦の政策決定過程を詳細に記した最初の回顧録として注目されている。
テネットは、「私が知る限りイラクの脅威が差し迫ったものであるかについて政権内で真剣な議論はなかった」とし、さらにイラクに侵攻せずに封じ込める可能性についても「真剣な議論はなかった」と書いている。
1997年から2004年までCIA長官を務めたテネットは、2001年後半から2002年にかけてCIAは的をアルカイダに絞っていたが、チェイニー副大統領や当時のポール・ウォルフォウィツ、ダグラス・フェイスら国防省幹部は、イラクに焦点を合わせていた。2002年のNational Intelligence Estimateが、イラクの大量破壊兵器について誤った分析をした責任を認めつつも、「当時は、サダム・フセインが非通常兵器を持っていることを信じて疑わなかった」と書いている。
イラクが大量破壊兵器を持っている証拠について「slam dunk」とテネットが述べたとされる有名な発言については、文脈を無視して使われたと主張、CIAとテネットは政権の責任の擦り付け合いのスケープゴードにされたと述べている。
参考:
Ex-CIA Chief, in book, assails Cheney on Iraq, April 27, 2007, NYT.
「我々はヒーローではない」ジェシカ・リンチとパット・ティルマンの遺族が、軍による英雄伝の捏造を批判
(2007年4月29日作成)
戦場からの感動的な救出劇で知られ、勇敢に戦った英雄とされたジェシカ・リンチ上等兵と、元フットボールスターで陸軍特殊部隊に所属し、アフガニスタンで友軍誤射で死亡したパット・ティルマン伍長の遺族が4月24日、下院政府改革委員会で証言に立ち、軍が事実をねじ曲げた英雄伝を作り上げ、戦争鼓舞のための宣伝に利用したとして批判した。
リンチ上等兵は「地方出身の小さな女性ランボーが勇敢に戦ったという英雄伝」は真実ではないとし、「本当のヒーローは私の部隊にいたほかの仲間だったのに、なぜ軍が私の武勇伝を仕立て、虚偽の情報をながしたのか今でも理解できない」と証言した。2003年イラク開戦初期、所属部隊が奇襲攻撃を受けた際、軍は当初、リンチ上等兵が捕虜になる直前まで勇敢に銃を撃ち続けたと発表していた。イラク人の手引きによる感動的な救出劇が話題を呼び、テレビ映画も作られたが、のちに、彼女は一発も銃を発砲しておらず、また救出劇の詳細の真偽もあいまいなことが明らかになった。
一方、ティルマン伍長は、元アリゾナ・カーディナルズのクゥオーター・バックで、9・11後陸軍に入隊、特殊部隊に所属し、アフガニスタンに派遣され、戦闘中に死亡した。当初、敵との交戦による戦死として家族やメディアに伝えられたが、のちに友軍誤射であるとの疑惑が持ち上がり.、軍による調査の結果、誤射であったことが確認された。どの時点で情報のカバーアップが行われ、ラムズフェルド元国防長官を含め軍高官がどこまで関わっていたかが、問題となっている。ティルマン伍長の弟で、同じく陸軍特殊部隊に所属していたケビン・ティルマンは、この日「イラク戦争への支持拡大にマイナスな悲劇は、逆に戦争を支える感動的なメッセージに変えられてしまった」と証言した。
証言には、パット・ティルマンと一緒にいたブライアン・オニール技術兵も出廷し、オニール技術兵はすぐに誤射であると気が付き、同じ小隊にいたケビンに伝えようとしたが、上官から「何が起きたが話さないように命令された」と述べた。また、ティルマンのシルバー・スター勲章受賞のための推薦状の中で、「敵と交戦中に」との下りは、オニール自身は書いていないとも証言した。
参考:
Panel hears about falsehoods in 2 wartime incidents, April 25, 2007, NYT.
イラク戦争:砕け散った人生:サムの場合 (4/7/07)
“I came home a hero and now I’m a bum.”
地方の貧しい家庭出身の青年たちにとって、軍に入ることは寂れた町を抜け出し、未来を切り開く数少ない選択肢である。しかし、イラクの砂漠で視力、左足、片方の聴力を失い、絶望と酒と薬の泥沼におぼれ、自殺未遂を繰り返している24歳の青年サム・ロスの砕け散った人生への夢を想うと、切ない気持ちになる。
(引用含めすべてニューヨーク・タイムズ”Injured in Iraq, a soldier is shattered at home” April 5, 2007より)
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ペンシルニア州ダンバーは、かつて炭鉱で栄えたがいまや州内でも最貧地域の一つファイェット郡にある小さな町だ。2003年の夏の終わり、同町出身、イラク戦争で負傷しパープル・ハート勲章を受章して帰還したサム・ロス元米陸軍上等兵のために、盛大なパレードが行われた。沿道には何百もの旗がはためき、地元の高校のマーチングバンドが演奏し、ジープに乗ったサムは「英雄」として熱狂的な歓迎を受けた。しかし4年後の今、サムは、殺人未遂、暴行、放火の疑いで逮捕され、精神病院にいる。
サムはもともと、ブルースの歌詞にでてきそうな悲惨な家庭で育った。両親の間に争いが絶えず、時に銃が持ち出されるほど。母親は家族を捨て、その後やってきた後妻を父親が殺害、父親は無期懲役で刑務所に服役している。サムは祖父に引き取られたが、その関係も難しいものだった。2001年6月に高校を卒業したサムは、大学に進学する金がなかった。ダンバーの町にいても将来はないと感じ、そこから抜け出す方法を探していたある日、陸軍の入隊募集広告に気がついた。翌日ショッピングモールに出かけ即契約書類に署名し、combat engineerに登録、入隊ボーナスの3千ドル(約30万円)を受け取った。
陸軍はサムにピッタリだった。「陸軍に入るために生まれてきたような気がした。規律と冒険を求めていたし、愛国的で、部隊の仲間との絆も強く感じた」とサム。2003年初頭、イラク侵攻開始前にクェート派遣され、弾薬処理部隊の一員として3月にバクダットに入城した。そして5月18日、作戦の手順に従って、穴に弾薬を集めているときに、なぜかそれらが爆発し、サムはゴムまりのように吹き飛ばされた。
昏睡状態でイラクからワシントンDCにあるウォルターリード陸軍病院に運ばれたサムは、体中に飛び散った金属片を取り除くために、何度も手術を繰り返した。1ヵ月後ようやく人工呼吸器が外され、失明し、左足がひざ下からなくなっていることを知ったサムは、何日も泣き続けたという。まだ20歳だった。
治療が一段落し、故郷ダンバーに戻り、パレードでの歓迎を受けてしばらくは、明るい気持ちがしばらく続き、将来のことを考えてなんでも挑戦できる気がしたが、すぐにそれは陰鬱な絶望に変わった。外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder=PTSD)で精神的に不安的になり、また体内に残った金属片のせいで痛みが消えない。釣りが大好きだったサムは気晴らしに釣りを始めようとしたが、水の中でバランスを崩し、竿をなげることさえできないことに気がついた。道具を捨て、船は売ってしまった。点字を習おうとしたが、後遺症で指の感覚がにぶく読むことができないと途中であきらめた。退役軍人の精神病院が訪問治療を薦めたが、これを断った。
サムは次第に引きこもるようになり、親戚や友人と争うようになった。負傷に対して政府から支払われた10万ドル(約1千万円)と地元ボランティアの協力で自宅を建てたが、ガールフレンドと別れ、孤独は深まり、酒や薬に頼るようになり、繰り返し自殺を図るようになった。
そして今年2月、叔父がPTSDの治療を受けるようにようやくサムを説得した矢先、酒に酔ったサムは、親戚が住むトレイラーハウスに火をつけ、駆けつけた消防士の首を絞め、逮捕された。郡拘置所のシーツで首吊り自殺を図り、今は州の精神病院にいる。サムは、病院を訪れた記者に“I
came home a hero and now I’m a bum.(英雄として帰郷し、いまや浮浪者さ)”と自嘲した。
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マイケル・ムーア監督の映画「華氏9・11」の中で、軍のリクルーターが、ショッピングモールをぶらついている青年たちに、入隊を勧誘する場面があった。ファースト・フード・レストランの店員ぐらいしか就職先がない田舎町では、高校卒業したばかりの青年たちには、モールでたむろうくらいしかやることがない。軍に入れば、町を抜け出し、技術を身につけ、世界をみることができ、うまくいけば大学進学もかなうかもしれないと聞けば、心は動く。サムもそんな青年の一人だったのだろう。
「負傷したのはサムだけじゃない。サムのような青年はほかにもたくさんいる。もしサムが負傷し、失明したことをきちんと受け止めていたなら、状況は違っただろう」とサムの祖父は言う。確かに、戦争で体と心に傷を負っても、家族や周囲の助けを受けながら、人生を前進させている例はたくさんある。しかし、サムの人生に降りかかった苦難の重さを思うと、彼の責める気にはとてもなれない。「この戦争がイラクに民主主義をもたらすという高邁な目的のものならば、なぜその名誉と負担を国民全体で分かち合わないのか」と、徴兵制再開を求める人もいる。実際には、徴兵制は非現実的だ。それでも大学進学や職業の選択肢がある裕福な家庭出身の師弟たちと、サムが自ら未来を切り開こうとして支払った代価を比べるとき、戦争はごく一部の人に過剰な負担を強いていると思わざると得ない。サムは今、24歳である。この後の人生をどのように生きていくのだろうか。
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