Aki Naganuma
  WashingtonDC同時代記
長沼亜紀 naganuma_washdc@yahoo.co.jp
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アメリカ政治・社会についての話題を隔週でまとめて紹介


イラク一般市民の死-マルラが命を賭けたもの(#1 9/16)

 「イラク戦争でどれくらいのイラク一般市民が犠牲になったのか?」米国防省は非戦闘員の死傷者を数えるのは任務ではないとしており、イラク暫定政権にもその力がないため、イラク市民の犠牲者の公式集計は存在しない。NGOの調べでは、米軍の軍事作戦の巻き添え、テロなどで戦争開始以来少なくとも2万3千以上が亡くなったと見られている
(1)。米兵の犠牲についての報道は多いが、イラク市民の死が伝えられることはほとんどない。しかし、この問題に光を当て、行動した一人の女性がいた。市民団体「CIVIC=Campaign for Innocent Victims in Conflict」の設立者マルラ・ルジッカ。2005年4月、マルラ自身がバクダットで自爆テロの犠牲になり28歳の若さで亡くなったが、彼女の活動は、戦争がもたらす結果とその責任について、重い問いを投げかけている。 (Picture: Courtesy of CIVIC Worldwide www.civicworldwide.org)


 「We don’t do body counts(非戦闘員の)遺体は数えない」。アフガニスタン戦争を指揮したトミー・フランクス将軍は、2002年3月の記者会見で、一般市民の犠牲について問われてこう答えた
(2)。言外にある「我々の仕事は敵を倒すことで、民間人の犠牲には関知しない」という姿勢にマルラは強い疑問を感じた。戦争が始まってまもなくNGOの一員としてアフガニスタン入りしたマルラは、誤爆された結婚式場や、戦闘に巻き込まれ家族16人が殺され生き残った幼子と祖父、重傷を負い治療も受けられず死んでいく市民を目撃した。「米軍の軍事活動による犠牲者に償いが必要だ。特に子供たちに治療を受けさせ、人生を取り戻すのを手伝う責任がアメリカにはある」、彼女はそう信じていた。

 マルラは、カリフォルニア州生まれの6人兄弟の末っ子で、バスケットボール部のエースという活発な女の子だった。早くから人権問題に関心を持ち、中学生のときには湾岸戦争への抗議活動で停学になったこともある。大学卒業後は人権擁護活動に参加し世界を飛び回り、デモ、座り込みなどを行っていたマルラだが、アフガニスタンでの戦争で家族を失い生活基盤を破壊された人々の出会いが、彼女を大きく変えることになった。彼らを助けるには、誰かを非難したり抗議したりするのではなく、共感を持ってくれる人を増やすことだと、考えるようになったからだ。

 マルラは、市民の犠牲の実態とどのような支援が必要かを調べるため、自費でアフガニスタンを訪れるようになった。活動資金節約のためホテルの床やソファで眠り、問題に関心を持ってもらうため記者らと友達になり積極的に情報提供を行った。ワシントンでは、議会に対し戦争犠牲者救済の基金設立を呼びかけ、またあるときはラムズフェルド国防長官を公聴会の証言席でつかまえ、長官が議場から車に乗り込むまで、問題の重要性についてひたすら話し続け彼のボディガードをハラハラさせたこともあった。

 2003年3月イラク戦争が始まると、マルラはバクダッド陥落2日後に同地を訪れた。そこでも、アフガニスタンと同じように、戦闘の巻き添えで死傷し生活が破壊されたイラク市民が大勢いることを知ったマルラは「CIVIC」設立を決意する。資金がほとんどないため、他のNGO事務所の片隅を間借りし電話線を引いただけのオフェスで、数人のボランティアスタッフの力を借りて議員への働きかけを本格化させた。カネもコネもないマルラの訴えを聞くものはほとんどなかったが、彼女の熱心さに打たれて耳を傾けたのが、パトリック・レイヒー上院議員(バーモンド州出身、民主党)だった。レイヒー議員は「彼女はアフガニスタン、イラクに行き、戦争がどんなものか、それがもたらす悲劇がどんなものかを知っていた。そして、誰かを糾弾するのではなく『助けを必要としている人がいる』という。私は、しつこい陳情に『No』という術を心得ているが、彼女は簡単に『No』と言える相手ではなった」とマルラについて語っている
(3)。 アメリカの道義的責任を理解したレイヒー議員は、米軍の軍事作戦で犠牲になったアフガニスタン、イラクの市民への医療・復興支援基金の設置を提案、法案は認められ約2千8百万ドルが予算化された。

 「CIVIC」設立後もマルラは何度もイラクを訪れている。犠牲者の実態を調べるためにイラク人の家を一軒一軒訪ねて詳細な聞き取りを行い、負傷者や家族が基金へ申請できるよう病院や軍キャンプ、大使館を駆け回って書類集めを手伝った。イラクの治安悪化は著しく危険は増す一方だったが、マルラは黒いスカーフで金髪を隠し、ボランティアをかってでたイラク人ファズ・アリ・サリムの運転する車で、バクダット市内を奔走、「どんな状況でも信じられないほどの明るく元気に満ち溢れ」(彼女を知るフィリップ・ロバートソン記者)「笑顔とトークで圧倒して、誰とでも会い、どこへでも出かけて行った」(同、キル・ロレンス記者)という
(4)

マルラは死亡する1週間前、次のようなレポートを残している。「最近、米軍の高官から民間人の死者数の統計資料を手に入れた。そこには(2005年)2月28日から4月5日までの間にバクダットで、米軍と反乱兵との交戦中、小銃の銃火で29人の民間人が死亡したことが記されていた。現場の部隊は、誤射を最小限に食い止め軍事行動の見直しに努めようと民間人の被害の記録をとっている。なぜこれをもっと組織的にまとめ、公表し、被害者支援に生かさないのだろうか」
(5)

4月19日、いつも通り犠牲者の家を訪ねる途中のマルラとサリムの乗った車が、米軍の車列を狙った自爆テロに巻き込まれ、二人は帰らぬ人となった。行動力と情熱とチャーミングな人柄で、人々を説得し、議会をも動かしたマルラ。彼女を知る記者の多くが、個人的な想いを込めて追悼記事を書いた。

Marla’s Reflections
“Victims of violence, terrorism, and war - we want them not to be forgotten, we want a process that accounts for them. We want governments ?international, the United States, the United Nations- to have structures in place for assistance.” 
(6)

(1)「Iraq Body Count」より(http://www.iraqbodycount.net/press/pr12.php)
(2)Ruzicka, Marla, “Aid worker’s words – just a week before she was killed,” USA Today, April 19, 2005.
(3)“Tribute to Marla Ruzicka,” Congressional Record, Vol.151, No.46, April 18, 2005.
(4)Robertson, Phillip, “An American Hero Marla Ruzicka gave her young life to help the innocent victims of the Iraq war,” Pittsburgh Post, May 1, 2005. Knickmeyer, Ellen, “Victims’ champion is killed in Iraq,” Washington Post, April 18, 2005.
(5)Ruzicka, Marla, “Aid worker’s words – just a week before she was killed,” USA Today, April 19, 2005.
(6)2005年5月14日ワシントンで開かれたマルラの追悼式のパンフレットより。


血だらけの手で泣き叫んでいる幼い女の子の写真がニューヨークタイムズ紙に載っていた。正確な日付は覚えていないが、検問所で車を減速しなかったために、彼女の目の前で両親が米兵に撃ち殺されたという。どんな大義名分があろうとも、この少女にどんな説明ができるだろうか。誰が彼女を育て、誰が彼女の人生が負った苦しみを償うのだろうか。何人のイラク市民が亡くなったか、誰も正確にはわからない。イギリスのNGO「イラク・ボディ・カウント」が2005年7月に発表した報告書によると、米軍の巻き添え、テロ、治安の悪化に伴う犯罪によりイラク戦争開戦から2005年3月までに少なくとも2万3千人から2万6千人の一般市民が死亡したという。ジョン・ホプキンズ大学公衆衛生学部の調査では10万人が犠牲になったという数字もある。アメリカのイラク政策を支持し、この戦争に参加している日本にとっても「彼らのことを忘れてはならない」というマルラの訴えは重い。


関連:誤爆?-困難な反乱兵と市民の識別 (10/30/2005) 
米軍は10月16日、イラク西部アンバー州のラマダイで反乱兵に対する空爆を行った。アメリカ側は、この空爆で反乱兵70人を殺害し、市民の犠牲はなかったと発表したが、現場の住民や医療関係者は、子供18人を含む市民25人が死亡したと主張している。米軍の説明では、前日に米軍車両が爆破され米兵5名が死亡、路上放置されていた残骸に反乱兵が新たに爆薬を仕掛けようとしているのを見つけたため空爆したという。しかし、住民は集まっていたのは子供や近所の市民だとし、現地を訪れたワシントンポストの記者は、4歳の息子と8歳の娘の遺体の一部が見つからないと嘆いている父親や、霊安室に入りきらずに病院の外に置き去りにされている子供や女性の死体を確認している。同記者によると兵員不足の米軍は、次第に反乱兵掃討を空爆に頼るようになっており、郊外ばかりでなく都市部にも攻撃を行っているという。反乱兵と一般市民を区別することは実質的には困難で、市民の犠牲の増加は避けられそうにない。(参考:10/18/2005 Washington Post
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