Aki Naganuma
  WashingtonDC同時代記
長沼亜紀 naganuma_washdc@yahoo.co.jp
Home 同時代記BackNumber ヒラリー2006

WashingtonDC同時代記
アメリカ政治・社会についての話題を随時紹介


普通のアメリカ人のイラク戦争:アイダホから(#15 7/1/2006)
 
イラク戦争に行っている兵士の多くはマチのごく普通の青年や学校の先生、仕事を持った会社員である。愛国心から志願した人もいるし、予備役、州兵として召集された人もいる。アメリカと世界の自由のために必要な戦争だと思っている人もいるし、戦争の理由、進め方に疑問を抱きながらも、イラクの民主化に正当性を見出そうとする人もいる。5月中旬に世論調査では、ブッシュ大統領のイラク政策を支持する人は32%、反対する人は66%、この戦争に戦う価値があると考えている人は62%、ないという人が37%という結果がでた。
(1)開戦3年を経た今、普通の人々はこの戦争をどう考えているのか。“赤い州”アイダホ(2)に焦点を絞り、一人息子を亡くしたベトナム帰還兵の父親と、2人のイラク従軍兵士に話を聞いた。(写真:戦没将兵追悼記念日にワシントンDCのモールでパレードするバイカーたち。2006年5月29日。筆者撮影)


ローリングサンダー:トム・タイタスさん
 5月の第4月曜日はメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)で、毎年ワシントンDCには、バイクに星条旗をつけたベトナム帰還兵が全米から集まり、戦争記念碑や、リンカーン記念堂が立ち並ぶモールでパレードを行う。鷲の刺繍やバッチのついた革ジャンに、赤と青のバンダナ、ひげ面に腕に入れ墨の強面のおじさまたちだが、ベトナム戦争で死んだ戦友を追悼し、POW/MIS(Prisoner of War & Missing in Action=戦争捕虜/行方不明兵)を最後の一人まで探し出せと米政府に圧力をかけるのが目的だ。この中に一人息子をイラク戦争で亡くしたアイダホ出身のトム・タイタスさん(55)がいた。

 タイタスさんの息子ブランドンは、高校卒業後、陸軍に入隊、2004年夏イラクに派遣され、わずか2ヶ月後にバクダッド近郊サドル・シティでパトロール中、道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発、戦死した。20歳だった。「軍隊には入ってほしくなかった。自分ができなかったことをたくさんやってほしかった」と、タイタスさんは首に下げたブラントンの写真を見せてくれた。母校の高校の先生になるのが夢で、フットボールのコーチのボランティアをしていたブランドンは、大学進学も考えていたが、結局入隊する道を選んだ。

 9・11同時多発テロがブランドンに与えた影響が大きい、とタイタスさんは感じている。「息子は政治に関心があるわけではなかったけれど、9・11以降、家にじっとしていることができなかった。『何かしなければならない、それが軍に入りアメリカのために戦うことなら、自分は準備ができている』と言っていた」。

 タイタスさん自身は、ベトナム戦争に徴兵され負傷し帰還した。目の前で死んでいった戦友たちを悼むため、毎年バイクで2週間かけてアイダホからワシントンDCまで横断し、メモリアルデーパレードに参加している。息子の葬式には、バイク仲間が大勢集まってくれた。あれから2年が経とうとしているが、息子を失った心の痛みは少しも癒されていない。「子供を病気や交通事故で亡くす親はいるが、最期はそばにいてやることができる。でも自分は、ブランドンが負傷して死のうという瞬間に、アイダホの家で座っているしかなかった。棺が送られてくるのを待つしかできなかった。それが悔しい」。

 イラク戦争の現状についてどう思うか聞いてみた。しばらく考え込んでから「撤退したら、そもそもなんのために我々がそこへ行ったのかと思う。なんのために息子やたくさんの人が死んだのかと」と答えた。しかし、いつまで米軍がイラクに駐留しなければならないのか、あとどれくらい犠牲をださなければならないのかを考えると、思いは複雑だ。タイタスさんには、現状はベトナム戦争と同じに見える。イラクには米軍に助けを求めている勢力と、米兵を憎悪する勢力とがいる。「戦争に負けるのは兵士ではない。政治家だ」。ベトナムの苦い記憶がよみがえる。

*****
 タイタスさんに会った翌日、モールにバイクパレードを見学に行った。約2万台の派手なハーレーが結集し、POWの旗や星条旗をはためかせながら轟音で疾走するさまは壮観だ。リンカーン記念堂の横では、海兵隊の正装を着た青年が、おそらくイラクかアフガニスタンで亡くなった戦友のヘルメット、銃、靴に敬礼して立っており、バイカーも敬礼して横を過ぎていった。一見、暴走族のような彼らを「時代遅れのレッドネック
(3)」と冷ややかな目で見るアメリカ人もいる。しかし、あのデモンストレーションは、ベトナム戦争で体と心に傷を負い、帰還しても社会から歓迎されなかった兵士たちが、「あの戦争、我々のことを忘れるな、POW/MIAのことを忘れるな、そしてイラク、アフガニスタン帰還兵に我々と同じような目に合わせるな」と伝える一つの強力なメッセージなのだと感じた。


先生はヒーロー:ルーク・ミラーさん
 「この台形の面積の計算の仕方、わかる人? スーザン、挑戦してみる?」アイダホ州の州都ボイジー出身のルーク・ミラーさん(26)は、約1年のイラク駐留を昨年11月に終え、今は地元のウエスト・ジュニアハイスクールで7、8年生(12-14歳)に算数を教えている。灼熱のイラクで、海兵隊としてシリア国境から侵入してくる武装勢力を阻止するために戦っていた日々は次第に遠くなり、元の静かな生活に戻りつつある。

 兄が軍人のミラーさんは、海兵隊員にあこがれて高校卒業後、新兵訓練を受け予備役となった。その後大学に進学、卒業、教職を得てウエスト・ジュニアハイスクール同校で教え始め、まもなく召集されイラクに派遣された。シリア国境付近は武装勢力との衝突が激しい地域だ。掃討作戦中、ルークさんの目の前でIED(Improvised Explosive Devices簡易手製爆弾)が爆発、戦車が吹き飛んだ。ルークさんは、敵の防弾が降り注ぐ中、戦車に乗っていた同僚を救出し、ブロンズ・スター勲章を受けた。しかし、助け出された同僚たちは、片足を失ったり、下半身麻痺になった。

 イラク戦争を支持するか訊ねてみた。「イラクに行くまでは、実はこの戦争に反対していました。もっと外交手段を尽くすべきだったと」。この戦争とアメリカがテロリストからの攻撃に対して安全になることとは直接のつながりはないと思っている。しかし、イラクに行き、イラクの大半の人々がフセインを倒し、民主的政府をつくることを支持していて、そのために米軍の助けを必要としていることを実感した。「イラクの選挙の投票率をみてください。イラクの住民にとって投票所に行くのは命がけです。それほど民主的国家を望んでいる」。今はこの戦争を途中でやめるわけにはいかないと思っている。

 元海兵隊員で、ブロンズ・スター勲章を受けた英雄が先生とあって、子供たちは軍隊や戦争について興味津々だ。毎回授業を中断しなくてすむように、学期初めに質問の時間を設けた。地元紙アイダホステイトマンのインタビューでは、「人を殺したことがあるの?」と聞かれ、「そういうことは元軍人に聞くことではないよ」とたしなめてから、「激しい戦闘があって、武装勢力を殺したことがある」と答えたことが紹介されている。「子供たちに知ってほしいのは、戦争は我々の歴史の一部であり、この教室や民主主義のためには戦うことが必要なときもあること、そして、そこで戦っているのは、心のない(おもちゃの)GIジョーではなく、自分のような学校の先生や地域の生身の普通の人々なのだということ」とルークさんはインタビューを締めくくった。

等身大の州兵像を綴る:クリス・チェサックさん
 「こんな小さな州の州兵まで派遣されることになるとは思わなかった」とイラク駐留中に生まれ1歳7ヶ月になる一人娘を抱きかかえてキッチンで自らの経験を話してくれたのは、ボイジー在住、NGOでコーディネイターとして働く、クリス・チェサックさん(36)。

 2004年夏から昨年11月までイラクにいたチェサックさんは、アイダホ州116師団から派遣された州兵4000人のうちの一人だ。州兵はもともと州の民兵に起源を持ち、警察官、消防士、会社員など様々な職業の人が一定の訓練を受けてなり、最高司令官は州知事である。州の災害や非常事態に対応するのが一義的な任務だが、戦時などには、大統領の指揮下に入り、戦地に赴くことになっている。

 ただ、州兵が戦場に行くと地域の働き手が少なくなり、例えば、警官が不足するなど地元社会・経済に負担が大きい。長引く対テロ戦争で要員不足が深刻な軍は、イラク・アフガニスタン派遣兵の約4割を州兵に頼っており、州の大きさに関わりなくローテーションをまわしているのが実態で、人口の少ないアイダホ州などには重い負担となっている。その結果、ブッシュ大統領が昨夏、反戦運動の高まりに対抗するためにアイダホで行った演説の中で、‘母の鏡’と賞賛した女性の例のように、息子5人と夫がイラクに送られるという家庭も出てくるわけだ。

 チェサックさんは、43名からなるブラボー部隊第3小隊に属し、イラク北東部のカークックでパトロールや後方支援活動を行った。州兵のイラクでの暮らしや体験を地元の人に伝えようと、駐留中に地元紙アイダホステイトマンにコラムを寄稿した。例えば:(以下、要約)
『武器庫の保全任務:待機中、イラクの子供と交流する』(2005年7月1日)
発見された武器庫の保全を命じられた小隊は、爆破処理班が到着するまで徹夜の番をすることになった。初めはおそるおそるだった近所の子供たちが近寄っていた。キャンディをあげ、家族の写真を見せると「きれいな奥さんだね」とクスクス笑い。別の子供たちが英語の教科書を持ってきたので、即席の英語教室を開講する。「レッツ・ゴー・トゥー・ザ・シネマ」。子供たちが眠くなるまでレッスンが続き、夜明けすぎ、処理班が到着、隊の任務は無事終了。これで武装勢力がIFDを作れなくなったとホッとすると同時に「もっと長期的で大きな成果があったかもしれない。なぜなら12人のイラクの子供たちに、アメリカ兵は化け物ではなく、普通の人間だということを示せたから」。
http://www.idahostatesman.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20050701/NEWS01/507010338

『映画・ゲーム・鎖かたびらそしてお尻の筋肉痛』(2005年9月17日)
イラクでは一日に複数の任務をこなさなければならない日もあれば、ただひたすら待機の日もある。そんな中で兵士はそれぞれ限られた方法でストレスを解消する。まず熱心にウエイト・トレイニングに励む人が多く、ほぼ毎日のトレーニングの結果、4-6キロも筋肉を増やした隊員がいた。ゲームやメール、映画で時間を潰す人が圧倒的だが、中には、マイク・トッド軍曹のように、トマトや3種類の胡椒、花などを植え、また現地にあったライムとザクロの木の手入れをしていた人もいた。「水をやり、雑草を抜き、世話をする何かがあるというのはいいものだよ」とトッド軍曹。残念ながら任務で離れている間にほとんど枯れてしまった。ほかにも木工で基地の食器戸棚などを作る人もいたし、針金を使って鎖かたびらを作ってしまった人もいた。ちなみに、筆者は「ロード・オブ・ザ・リング」全3編(約9時間!)を連続で見て、お尻が筋肉痛になった。
http://www.idahostatesman.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20050917/NEWS01/509170312/1022

 チェサックさんは、爆撃で肉塊になったイラク人の遺体を見たり、自爆テロに遭った同僚の生暖かい血のりをHumvee(高機動多目的装輪車)からふき取るなどの経験をした。しかし、コラムでは、努めて兵士の人間らしい側面を紹介した。もともと「青い州」マサチューセッツ出身のチェサックさんは、「この戦争は根拠が不十分で、始めるべきではなかった」とブッシュ大統領のイラク政策には反対している。もちろん、こうした意見はアイダホ州では少数派で、一緒にイラクで戦った州兵の仲間ともよく議論したという。それでも始めてしまった以上、仕事はやり遂げるべきだというのがチェサックさんの考えである。「多くの人は、この戦争が正しいから続けるべき、間違っているから明日にでも撤退すべきと単純に結論付けますが、イラクの現地の状況は非常に複雑です。今放り出すわけには行きません」。

*****
 あまり伝えられることはないが、イラク戦争はふつうのアメリカ人の生活や人生に大きな負担を強いている。(もちろん、すべてのアメリカ人に均等に-という訳ではないけれど)戦場に行き、生死の境を超え、無事に帰還する人、負傷する人、帰還できない人、そして大切な家族を取り戻せる人、失う人。ブッシュ政権の掲げる戦争の大義にすべての人が必ずしも納得しているわけではないが、パンドラの箱を開けてしまった以上、前に進むしかない―、それが今、多くのアメリカ人が感じていることかもしれない。

(1)5月11-15日に行われたABCニュース/ワシントンポストの世論調査
(2)アイダホ州は、2004年大統領選で全国平均より35.7%も多く共和党に投票した全米3位の保守的な「赤い州」。ちなみに一番共和党の支持率が高かったのはユタ州、2位はワイオミング州。
(3)レッドネックは無学の田舎者という意味で、特に南西部の保守的な白人のことを軽蔑的に指すことが多い。語源は農作業などで首が日焼けしていることから。
 
©Aki Naganuma. All rights reserved.