米国の政策分析の展開と政策アナリストたち

   
上野真城子

 

「政策の成功」まで

 少し古いことになるが、1997年11月、ワシントンD.C で開催された公共政策分析経営協会APPAM(Association of Public Policy Analysis and Management、(注1)の年次総会での基調講演「政策の成功」のあと、アリス・リブリン(Alice M. Rivlin)女史は「政策分析(ポリシー・アナリシス)は、今、日本に必要なものよ」と明言された。これは、私がアーバン・インスティテュート(注2)で働き、日本に本格的な独立シンクタンクをつくること、政策産業の振興を願って動き続けていることを話したときの即刻の返答だった。

リブリン女史はラドクリフ/ハーバードでPh.Dを取ったエコノミストで、ハーバード、ジョージメイソン大学などで教鞭を取り、1968年には健康教育福祉省(当時)の計画評価局担当次官補、1975年から1983年まで米国の議会予算局(CBO)の初代局長、1994年から1996年には、行政管理予算局(OMB)長官などを歴任し、当時は連邦準備局副議長であった(現在はブルッキングス研究所、シニア・フェロー、(3)。その総会の基調講演は米国の財政再建がなされ、政策(と政府)に対する国民の信頼が回復され始めたときでもあって、それまでの30年余の米国の政策分析を、いわば最前線で切り開いてきた女史が「政策の成功」について語るのはふさわしいときであった。その小柄な姿からは、厳しい論戦を通じて、政策分析を政府内に機構化し、定着させた、米国の政策アナリストを代表する強靭な精神とエネルギーがどこから出てきたのかと不思議に思えたものである。

実はこのときのAPPAM総会には政策分析ネットワークを作ろうと努力されていた竹中平蔵氏(当時慶応大学教授)と片山泰輔氏(当時跡見学園女子大学助教授)も参加されていた。APPAMは1978年に設立され、全米のシンクタンクと公共政策大学院、政府内の政策分析機関を連携し、米国の政策分析の発展と政策産業の興隆の使命を担った、いわば「政策運動」の母体組織である。竹中氏らはこれに着目し、APPAMをひとつのモデルとして政策分析ネットワークが設立された。これを「学会」としなかったこととあわせて、この設立は日本の政策コミュニティーの形成において画期的なことであったといえる。今回のジャーナルの発行はAPPAM のJournal of Policy Analysis and Management が果たしたと同様に日本の政策分析の振興に重要な役割を果たすものと思う。

2003年末に、久しぶりに日本に戻り、短期的に政策大学院で教鞭をとる機会を得た。限られた経験からの印象としては、しかし日本には未だ政策分析と政策アナリスト(政策プロフェッショナル)が繁栄する土壌が極めて乏しいと思う。17年余り、米国の代表的シンクタンクで政策(研究)の最前線に触れ、民主的統治制度においての政策形成に政策分析がいかに重要かことごとく教えられ、学び続けた者として、政策分析の需要と供給の質量に日米間の深いギャップを感じざるを得ない。日米が同じでなければならないことはまったくないのだが、本質的な問題は、現在日本は、単にいくつかの政策のアイデアが不足しているといったことではなく、あらゆる政策の点検からはじめて、膨大な情報と知識と議論を含めた政策分析力、政策評価力、そして優先性を判断し決断する政治を含めた、総合的政策決定力が決定的に不足している。これらの能力は「公共セクター」すなわち「政府」と「政策」に必須の能力であるにもかかわらず、である。政策分析の貧困はあまねく日本の公共セクターの脆弱さを現している。端的にいえば、時代の市場・民主主義の過程をすすめるための知の生産とそのための装置、資産、資材人材が極めて不十分であるのだ。

米国は(抱える問題の大きさは日本に劣らず膨大であるが)、それと取り組む体制と意志において優れて強靭なものがある。ことに政策産業と政策分析の30年余の思考と議論の蓄積は、今、この21世紀、ことに9・11以降の激動の社会において、極めて大きな意味を持っている。

「今、日本に必要なのは政策分析よ」といわれたことは7年の後もなお、重要なメッセージなのである。

こういうと、日本の多くのエコノミストたちと学者からは、そんなことはない、優れた経済分析は数々なされているし、政府にはエコノミストも入り、今や政策評価も繁茂している。公共セクターは少しづつとはいえ変化してきている。「政策分析」とは、政策アナリストとは何か、エコノミストとどう違うのか、それは確立された学問領域で、学者なのか、という疑義が出てくるだろう。

 政策分析は1970年代以降、米国において最も興隆してきたといえる。しかしながら、これがアメリカ的といえるのだが、政策分析とは何かという明瞭な定義があるのか、学問領域として確立された体系を持つのかといえば、必ずしもそうではない。政策分析は学問としては「政策科学」の中に体系化されるといえるかもしれない。宮川公男麗澤大学教授の編纂されたThe Science of Public Policy: Essential readings in policy sciences (注4) は、この政策の科学としての確立にとっての重要な布石となるだろう。その冒頭に宮川先生は、「政策科学は政策、政策分析、政府、国家、パブリック・インタレスト(公共利益)、政策分析の手法とアプローチなどが関わる」とされて、政策科学(ポリシー・サイエンス)の発展、政策分析(ポリシー・アナリシス)、政策過程(ポリシー・プロセス)という枠組みで欧米の膨大な文献を整理されている。イントロダクションで政策分析は広い意味で「政策過程知識と政策過程における知識を生産する過程に関わるもの」とされている。政策分析は「政策問題を解決するために、政治的設定において用いられる、政策に使う情報を生産し、政策を改変するための調査と議論のための、多様な手法を使う、応用的社会科学の学域であり」、「社会技術的課題のより深い理解を得、より良い解決をもたらすために成される応用研究のひとつである」との考察が示されている(注4a)。しかしいずれも政策分析の定義として定着したものではない。

政策分析を新しい学際領域として政策科学(policy science)の中に位置づけて学問として体系化することが出来るとして、またそれは必要であるとしても、しかし私には、政策分析は、多分にそうした学問領域として確立することでは収まり切れないものがあるように思う。なぜなら政策分析は現実の短期長期の社会問題の解決を目的とした、科学知識の「応用活動」であって、米国での政策分析の展開をみると、この発展原理は、学問志向性にはなく、実効性、運動性、現実への働きかけを重視する、ミッション(使命)志向の研究活動の経験の蓄積にあるといえるからである。すなわち個々の政策分析研究の評価は、その最終成果、アウトカムを、純粋学問業績としてではなく(それも含められるが)、いかに現実の取り組まれた目標(ある社会問題の解決)を達成したか、に求めるものであり、それは唯一絶対の正解を求める、科学的体系を志向するものではないからである。政策分析は「学会」とするよりも、よりアクティブな運動体とされるほうがよいと思うのは、政策も(民主主義と同じく)プロセスであるからである。

アメリカはここ30年余り、公共政策分析と研究、政策の形成と実施、評価と実験において、膨大な資金資源を投入し続けてきた。20世紀最後の2,30年は、いわばアメリカは政策の時代を創ってきた。結果としてみると、政策の時代とは、政策産業と市場の揺籃、成長、確立がなされた時代といえると思う。ただしこれは一概に加速度的に成長したわけではなく、時々の政治、特に政権の意思が関わって、栄枯盛衰の波があったし、現在もある(注5)。米国の当事者である産業従事者、ことに政策研究者に異論はあろうが、それでも他国からみれば極めて大きな資金が政策研究に流れ、そこに確実な雇用労働市場が出来た。そして情報技術革新を強力な味方として併合し、産業の生産物の核心である政策研究と政策分析は量質ともに飛躍的進歩を遂げた。

 

政策分析と予算形成の民主化

政策分析の発展において、リブリン女史の果たした役割は、非常に大きい。いうまでもなく、政策分析の発展は彼女一人によるものではないものの、特に米国議会予算局(CBO)を作ったことにおいて、彼女の貢献は高く評価される。

1960年代末、リブリン女史はジョンソン政権の偉大な社会:貧困への闘い事業に関わった政府機関としては最大省である、健康教育福祉省(HEW)の次官補として計画評価局(ASPE)で社会サービス事業を中心とした教育医療、福祉の政策分析と評価を指揮した。政策分析の前史は、連邦政府の歳出をよりよくコントロールしようとする試みと、そしてそれによって使われるドル(予算財源)から最大限可能な効果を得ようとする試みの手法として、連邦政府の予算局(Bureau of the Budget)が『プログラム計画予算(PPBS:Program Planning and Budgeting )』と呼ばれるシステムを採用し、後にそれを全政府機関に義務づけたことに動機づけられる。このPPBSは支出の必要な事業プログラムの費用対便益について、複数年度にわたる費用の予測をつけた、極めて精緻な分析のシステムである。公共政策問題を解決するための分析的技術の応用は、ランド・コーポレーションの国防戦略研究において開発されたものだが、こうした経済学的、数学的、統計的技術に沿った、分析的思考を、政策と政府に導入する試みはケネディー政権時代に、ロバート・マクナマラ(注6)に主導されたといえる。これは公共機関を運営管理する新たな方法を提供した。

 

PPBSと政策評価局の誕生

PPBSは、適切に必要とされる分析の数より以上の分析を試み、数珠繋ぎの命令体系の下で稼動することによって官僚化され、究極的に失敗に終わったとされている。しかし、研究と政策分析というものが国防調達や住宅補助にいたるまでの多様な政策選択肢に情報を与えることが出来ること、それが政府と政策の運営にとって不可欠の情報であることを明らかにしたという点では異論の余地はない。このPPBSの全省庁への適用の試みと省庁政策評価局の設立という1970年前後の政府改革は、振り返ればそれ以後のアメリカの政府と政策、すなわち公共セクターの有り様を決め、それはアメリカン・デモクラシーを特徴付ける極めて重要な事象であるといえる。政府自らの「政策志向」ないしは「政策科学志向」の思潮を定着させ、「政策分析」というものが需要される基盤がこの時期に成立したのである。

PPBSは失敗か成功かの議論の中で、リブリン女史の視点は実に健全なものであった。

――その精巧な述語にも関わらず、私にはPPBSは単に決定形成への常識的(コモンセンス)な取り組み方と思われる。誰でも政府の事業を動かす問題に直面したとき、または実際どんな大きな組織でも、良い仕事をしたければこうした段階を取りたいだろう。すなわち、1)出来る限り明瞭に組織の目的を定義すること、2)何に財源が使われたかを見つけ、何が達成されたかを見つけること、3)将来の代替策を考え、それぞれの費用と何がなされるべきかについて、可能な限りの情報を集めること、4)決定がなされる時に適切な情報がまとめて提示されるということをシステマティックな手順手続きとして設定すること、である。PPBSは単純に政府の予算過程にこのコモンセンスを制度化する試みであった。そしてこれはこうした試みの最初でもなく最後でもない(注7)。――

リブリン女史は合理的な政策形成(政策改善)のために政策分析は必須不可欠であると考え、政策分析には@広範な社会実験の重要性、A政府機関のアカウンタビリティーの必要性、そしてB総合的な政策評価研究と評価基準の研究の必要性を指摘した。これがいわば政策分析の発展・展開の動機をなしているといってよいだろう。

1970年代米国は多彩膨大な政策社会実験を行い、膨大な政策評価事業を実施した。彼女はとくに先駆的なHEWにおいて数々の政策分析と評価を指揮した。1980年代以降、アメリカの各種の社会サービスにおけるプログラム手法として重要なバウチャー制度があるが、彼女は当時、バウチャーの問題を取り上げ、「教育バウチャーなど新事業の制度採用においては、ことに多元的な教育評価基準の作成、すなわち子供の絶対的な達成度をひとつとせず、子供の経年的な発達変化をも組み入れる基準の開発と作成がない限り、制度は有効な政策として機能しない」として安易な制度の採用を厳しく戒め、政策分析研究の規範を指摘したといっていいだろう。これは小さなことのように見えるが、この規範と思考は、政策分析研究、具体的にはプログラム評価と業績測定のその後の地道な発展と実践と努力に高い動機と方向を与えたといえる。現在の政府業績評価における結果重視の業績測定という考え方もここに起源を持つ(注8)。

 

議会予算局の設立

1974年の議会予算統制法(注9)の成立と議会予算局(CBO)の設立は、近代の民主的国家統治という点からも歴史的なものといえる。

議会予算局の設立においてリヴリン女史の貢献は顕著なものがあった。彼女はCBO が政策分析機能の向上を図ること、そして機関は議会と国民に奉仕するものでありその財源は議会から配分されるが、機関の活動人事において、議会から干渉されることなく、独立に運営されるものであること、政策分析、予算分析は、政治(政党)から独立してあるべきことを厳格に主張した。それでなければ政策分析の成長はないと信じていたのである。初代局長として彼女は、前述したHEWの政策計画評価局(ASPE)という政府内の政策分析組織とブルッキングス研究所という民間独立のいわば政策分析での先駆的組織シンクタンクでの経験を基に、CBOの組織モデルを作った。この基本となる理念、とくに[独立的]であることと、機関の機能、役割、そして組織機構は現在に至るまで変わっていない。そしてCBOが実際に果たしてきた役割は、歴史の評価にも十分に耐えうるものであるといえる。

 

政策産業の興隆

多くの米国の知識人は学界と政府との間を行き来しつつ政策形成に一定の役割を果たしてきたが、それが個別的単発的ではなく、いわばシステムとなったのは前述したように1960年代後半から政策分析が政府内外に明瞭に需要されるようになってからといえる。政権によって異なるが、1970年代には研究者や政策分析専門家が徴用されて政府内外に雇用流通の市場が生み出された。しかし見落としてならないことは、この流動は単に政策研究者といった専門家が個別に政府内外を移動する機会が増大したことで形成された市場ではない。強靭な政策産業ができあがった背景には政策研究と分析という、この産業の「生産物」の生産と流通の市場が、この人材の流動に付いており、それが経済を伴っていたからである。

70年代以降、政府の政策研究は、大型の政策実験事業と政策分析と評価の、研究「プロジェクト」として行われた。こうした研究プロジェクトが政府省庁から大量に契約発注されたことに大きな特徴がある。政策研究が公共事業のようにプロジェクトとして省庁で企画され、プロジェクトとして設置され、発注され、入札され、契約を経て、組織が受け、研究実験に付され、その成果が多くは報告書として生産され、納品された。ここに政策(研究)は、成果品の公開を原則とする情報市場で取引され、流通することによって、実質的な公共財(パブリック・グッズ)となったといえる。この公共財の生産に、政府だけでなく、広範な政府外、民間が携われる機構(社会インフラ)が出来たことが、近年のアメリカの民主的統治(ガバナンス)の核心をなすものといえ、この意味するものは非常に大きいのである。

政策「プロジェクト」の設置がシステム化されたといえる契機は、1966年にリブリン女史の前任、ASPEの初代次官補であったウィリアム・ゴーラム(注10)が、省の事業予算要求に際して、その予算の1%(以下)の資金を留保し、これを省の長官の裁量において政策研究と、評価検証のための使用することが出来るという条項を入れたことにある(注11)。これは数年のうちに国内政策を作るほとんどの省庁に採用されることになった。この「1%政策評価保留資金」の出現に私が特に着目したのは、政策評価という研究活動が財源を配されて、プロジェクトとして成り立つようになったことが、米国の政策産業と市場の成立に不可欠の要素であったと考えるからである。

大規模な実験事業の実施と合わせて、70年代には民間の(営利、非営利)シンクタンク、評価機関が多々生まれ、また強化増大された。米国の政策分析と評価研究の生産は、現在では1000から2000もの機関によって行われ競争市場が出来ている。大規模な政策研究評価は、アプト・アソシエーツ、ランド・コーポレーション、マセマティカ、アーバン・インスティテュート、アメリカン・インスティテュート・フォー・リサーチといった数十年の歴史を持つ比較的限られた大規模機関でなされている。こうした顕著な確固とした大組織の存在は、権威主義的となる危険性は否めないが、社会を動かす牽引力として認めなければならない。

評価プロジェクトが財源を得て政府から発注されたことで、それを扱う業務、すなわち政策研究プロジェクトを扱う人材とその雇用が発生した。政策分析とそれに関われる人材の連邦政府での需要は、早速に主要な大学に公共セクターに関わる業務を希望する学生のための教育プログラムと大学院レベルで政策と公共体の運営マネージメントを扱うカリキュラムを生む。60年代後半から米国の主要大学(多くは民間非営利NPO)に、民間からの寄付を得て、政府と政策の研究と公共経営実務者養成を目的とする学部やセンターが次々と設立された。 ハーバード大学のケネディ・スクール(1968年)、カーネギーメロン大学の都市公共政策科(1969年)、ランド大学院(1969年)など列挙に事欠かない。特にランド大学院は「政策分析の牙城」といわれるように1970年代以降の政策分析の先駆を切り開いた。これらの公共政策大学・大学院は、既存の確立された学問体系を基礎としつつ、政策分析という、応用実験的学際研究を理論化しながら、政策情報と政策知識を、雇用と経済に置換する産業を創出することに強力な力となったのである。

政策評価プロジェクトの多くは、政策を管轄する責任を持つ政府省庁によって資金が提供されたことが非常に重要だが、しかしまた、米国の資本主義の特徴となる、1800年代からのフィランソロピーの存在は無視できない。ブルッキングス研究所に典型的に見られるような、政府を監視すること、政府から独立した知識集団の存在はいうまでもなく、フォード財団やカーネギー・メロン財団、ロックフェラー財団などノンプロフィット・セクターの核となる民間財団の存在は、米国の公共セクターのありかたに極めて大きな影響を与えている。彼らは巨額の資金を社会実験や政策評価に投じ、独立的政策研究を支援してきた。近年の連邦政府の福祉改革についてみれば、民間の13財団が多年度にわたり60億円を超える資金をアーバン・インスティテュートが行う政策評価に提供している。

政策産業の創出と繁栄によって、この産業は多種多様な才能を取り込むと同時に、新しいプロフェッションを生むことになった。この産業に流動する人材の典型が政策アナリストである。彼らはあらゆる専門性を持つ、社会科学系および理学工学系の研究者、エコノミスト、官僚、政治家、法律家弁護士、統計家である。またこの政策産業は膨大な政策情報の処理が基盤であるので、この産業にふさわしいコンピューター・スペシャリスト、会計士、政策広報の専門家、研究起業家、研究プロジェクト・マネージャーとマネジメント・スペシャリストといった人々を雇用する。これらの熟練専門家・プロフェッショナルの、政府と民間セクターの間での流動性は、政策産業をより強力で魅力的なものにしている。政策分析および政策決定における生産性や競合性が高まれば、政策産業での政策議論の質が高まる。政策産業についてはここではこれ以上触れないが、ゴーラムがいみじくも語ったように、米国特有の民主主義は、「公共セクターをあらゆる人々にとってのビジネスとしてきた」ことにその強みがあるといえるのである。

 

新しい時代と政策分析:日本へのインプリケーション

安全保障・核・人口・貧困・経済・環境・エネルギー・産業・健康医療・食・教育・福祉・年金など、かつて水平にも垂直にも切り離して考えることが出来たことが、21世紀に入った今、あらゆる人々の暮らし、コミュニティーと家族の問題であり、地域的、国内的であると同時にグローバルなつながりを持つ、それも加速的に複合複層的な関連を持つ政策課題であることが明らかになっている。これまでは政策分析は社会科学と統治をつなぐ学際領域と認識されたが、ことに今世紀は、短期的にも、長期的にも、情報科学と自然科学の驚異的な展開が、社会倫理の問題をも含んで、否応なく、政策領域の問題となる。生物学の発展と医療公衆衛生政策などはその極めて端的な例であるし、核物理学の展開とエネルギー、環境、安全政策も切り離して成り立たない。

そしてこれらの問題の解決には、完璧な答えも、唯一絶対の模範解答も方法もない。しかし、われわれの現在において、限られた資源と拘束の中で、これらを政策課題として、一つ一つ対応し、解決を図り、かつ全体としていかなる均衡を図り、何を優先させるかについての論議し決定をしなければならないのである。不確実性に満ちた新しい時代に、まったく不完全な制度と政策をもって対応しなければならない。政策分析と政策アナリストの重要性はますます高まっている。

今、米国から学べることとしては、日本が真に、政策産業の振興、その核心に政策分析の興隆、政策アナリストの養成を社会の合意として、意志として、取り組むべきだということである。それは有識者を招いて、外部評価委員会などとして会合費でお茶を濁すような「政策評価」ではこの時代に必須の産業は興せないということである。

 

米国の経験から日本でなされるべきことには以下のようなことが含まれる。

  • 政策情報データ:政策情報の収集と管理システム、情報公開共有システム。

2. 既存政策と予算の見直し、政策評価、業績評価の執行

3. 政策評価予算措置:省庁の政策評価活動を財政的措置とアカウンタビリティーを持たせること。(事業費の1%を政策分析評価に。議会指示評価予算の設定)

4. 政策研究プロジェクトの開発設置。(政府科学研究費に政策研究を配分項目とすることなど。)

5. 政策分析・政策評価:政策評価分析能力を持つ人材の養成、教育体制。大学院に政策分析の授業を取り入れること。

6. 政策への貢献をミッションとする独立的政策研究組織の設立:ことに予算分析機関の設立(政府内独立機関も含めて)。

 

最初に書いたリブリン女史のAPPAMの講演で、彼女は――子供が親に向かって「It’s unfair!(そんなの、フェアじゃないよ)」という時(著者解説―アメリカの子供たちはお菓子の取り分から始めて何かにつけてこういう)、親は子供に、それはなぜfairであるのかを説明し説得することが出来なければならない。これから政策アナリストたちは、人々に、そして政策決定者たちに、この政策はなぜ公正といえるのかを、今までにも増して、頻繁に明瞭に説明できなければならないのである――と語った。  

公共政策は時代の、子供たちの、家族の、あらゆる人々のものであり、そのためのものであり、そして、人々が作るものである。政策を人々にわかりやすく説明する、政策を人々の、子供たちの、家族の、個人の、ためによりよいものとできるか、よりよい経済・市場のありかたと民主主義の価値観をつなげることが出来るか、リブリン女史を始め、多くの米国の政策アナリストたちから私が学んだことは、変動する社会への真摯な関与の姿勢である。

多くの「よき」政策分析と「誠意ある」政策アナリストの創出と繁栄こそが未来への投資であり安全保障である。今こそ、日本に、である。

注:

1)APPAM(Association for Public Policy Analysis and Management:公共政策分析経営協会)の目的は、政策分析と公共経営についての応用専門領域を基として総合研究領域への発展を促し、これらに関る研究者、教育者、実務家を混合融和し、研究領域としての卓越性と、同僚としての風紀を高めつつ均衡を図る、指導的専門家の組織化にある。組織は、政策系大学と大学院、シンクタンクの情報を提供し、分野へ学生を引き込み、公共政策分析と公共経営領域での研究、教育、実践の優れた業績を奨励し、学生に雇用機会を提供し、会議、機関誌ジャーナル、ニューズレターを発行し、分野の社会的存在の強化を図っている。APPAM組織会員は公共政策系の大学院を持つ大学、非営利シンクタンク、営利研究機関、政府機関60余り、個人会員約1,600人。

2)米国のシンクタンク、アーバン・インスティテュートは1968年、ジョンソン大統領の命を受け、ロバート・マクナマラの主導を受けて創設された、国内政策を主とする政策分析評価機関である。初代所長(現名誉会長)ウィリアムゴーラム。現在ロバート・ライシャワー元議会予算局局長。財政・予算の議論において最も重視される政策アナリストである。

3) ブルッキングス研究所は米国の最も伝統あるシンクタンク。その活動の中でも1970年の「国家優先事項の設定(Setting National Priorities)」の出版は公共政策研究と政策議論のあり方を示し、さらに一般市民に政策の分析的な視点を育て、民主主義社会における政策議論の道筋を作ることに多大な貢献をした。

4)Tadao Miyakawa, edited. 1999. The Science of Public Policy: Essential readings in policy sciencesI. Volume I -III. and 2000. II. Volume IV ? VII. London and New York. Routledge. これは、1940年代から1997年までの政策科学の展開においての主要な論考を、政策科学(ポリシー・サイエンス)の発展、政策分析(ポリシー・アナリシス)、政策過程(ポリシー・プロセス)という枠組みで集められた、政策分析を議論するときに必須の基本的(古典となる)論文7冊のシリーズである。国際的に貴重な業績であり心から敬意を表するものである。

4a) Miyakawa edited. 1999. Introduction, The Science of Public Policy, essential reading in policy sciences I, Volume III, Policy analysis, p.3 より。

5) 上野真城子、角南篤(2000)「なぜポリシー・アナリシス・レビューか」、『ポリシー・アナリシス・レビュー(Policy Analysis Review: PAR)』 vol.I, 2000. 東京財団。

6) ロバート・マクナマ(Robert S. McNamara)はベトナム戦争時の国防総省長官、その後世界銀行総裁を務めたが、PPBSの適応と政府の合理化と科学化という点から見て時代を画した政策アナリストといえる。日本に独立政策研究機関:シンクタンクをつくろうとしたアーバン・インスティテュートを中心とした努力に1990年代初頭から強力な支持を与えてくれた。これについては「政策形成と日本型シンクタンク」に詳しい。

) Rivlin, M. Alice. 1971. Systematic Thinking for Social Action.Washington, D.C. The Brookings Institution.

8)Harry P. Hatry, Performance Measurement,(日本語訳、「政策評価入門:結果重視の業績測定」上野+上野訳、東洋経済新報社、2004年

9)Congressional Budget and Impoundment Control Act of 1974. 議会予算収用統制法。

10)当論考については、Makiko Ueno & Rudolph G. Penner (2004) “An Institution Model For Reforming Japan: Capacity to Budget.” Changing Policy Priorities In An Aging Society: Perspective In Common Between Japan And The United States. NIRA RESEARCH OUTPUT, VOL.17.2004.(総合研究開発機構(NIRA)とアーバン・インスティテュート共同研究2001−2003参照。

11) Program Evaluation at HEW, James G. Abert, 1979, Marcel Dekker, Inc.

 

(関西学院大学総合政策学部教授)

この小論は政策分析ネットワーク「季刊政策分析」第1巻第1号(2004年10月) の「政策の窓:米国の政策分析と日本が学ぶべきこと」のオリジナル原稿である。