原爆投下60周年:人道主義の原点に返って

 

 

 

 

池上雅子

ストックホルム大学アジア太平洋研究所教授・所長

 

 

 

 広島・長崎原爆忌60周年の今年7月末、広島で開催されたパグウォッシュ会議 [1] に参加した。同会議がノーベル平和賞を受賞した1995年の広島会議に初めて参加して以来丁度10年、感慨もひとしおだった。しかし、5月のNPT再検討会議の失敗や北朝鮮・イランの挑戦に見られる核不拡散体制(NPT)崩壊の危機、核兵器が実際に使用される危険性の増大、にもかかわらず会場に充満する無力感、核兵器に対するある種の不感症を見て、非常な危機感を新たにした。


  米ソが相互確証破壊
(MAD)ドクトリンを以って対峙していた冷戦時代、核兵器の炸裂は即人類破滅戦争を想定させ、核兵器使用は実質的に禁忌とされた。しかし、冷戦終結とともに核戦争に対するこうした恐怖と緊張感が薄れ、いまや核兵器は国連安保理常任理事国(P5)の拒否権に象徴される「大国の宝刀」か、「ならず者国家」が大国からの圧力に抗して死守する絶対的抑止手段あるいは交渉の切り札、として認識される程度である。昨年公開された米国映画 The Day after Tomorrow は気象異変の恐怖の結末を描いていたが、1980年代に公開された同名の米国映画が核戦争後の恐怖を扱っていたことを考えると隔世の感がある。核兵器に対する感性が確実に鈍ってきているのだ。「核兵器を使用したテロの発生は時間の問題」という危機感が一部専門家の間にある一方で、米国ブッシュ政権は小型核兵器開発を手掛け、これに対抗する中国やNPT非加盟国のインド、パキスタンは核兵器の増強を続けている。


  世界に核兵器不感症が蔓延する中、再び広島を訪れ
60年前の凄惨な地獄場面に触れると、やはり核兵器使用は「人道に対する罪」という思いを新たにする。広島原爆慰霊祭に招かれ初めて広島を訪れた中東の某外交官は、「これまで本やメディアで広島・長崎のことを読み聞きして原爆について十分に知っている積りだったが、実際にグランド・ゼロの現場に立ち、原爆資料館を見学し、被爆者の話を聞いて大変な衝撃を受けた。これほど衝撃を受けるとは、自分でも想像しなかった」と述懐した。やはり百聞一見に如かず。ところが、冒頭の全体会議では中国の軍関係者が「中国の核兵器は特別である」と発言して顰蹙を買った。また私の東アジア作業部会報告で「戦争の犠牲者」という表現に対し、別の中国人参加者が「日本軍の残虐行為による筆舌に尽くしがたい犠牲」と特定せよ、と要求した。これには私も憮然として「日本の侵略によるアジアの被害者に謹んで共感するが、一方でここ広島や長崎、あるいは東京を始めとする多くの都市でも原爆や空襲で多くの無辜の民が筆舌に尽くしがたい苦しみを受けたことを認識している。したがって、ここでは国家の枠を超えた人道の見地から、一般的な表現を取る」と一蹴した。会議後にイラン、エジプト、インド、イタリアを始め多くの会議参加者から「君が人道主義と核廃絶の精神から、中国の(くだらない)コメントを決然と論駁したのは大変よかった」と褒められた。国家の枠に眩惑され人間として当然の共鳴感を失うのは不幸である。

 
しかし日本は国際社会に向けて「原爆は悲惨だ」とは訴えても、「原爆投下は人道に対する罪だ」という明確な主張をしてこなかった。米国の核の傘に依存する後ろめたさ。そして何よりも「日本が仕掛けた侵略戦争の因果応報」との遠慮がある。これは基本的に日本の戦争責任を糾弾し続ける中国・韓国などの主張に則す。中国のあるウェブサイトによると、今年86日に中国軍内部では、数百人の将校が集まって原爆投下「祝賀会」を開いたという。国家主義による人道性歪曲の極みである。世界的には「原爆投下は日本の降伏を早め、数十万人の米兵の犠牲を出さずに済んだ」という米政府のプロパガンダが流布し、60年後の今だにこの出任せの数字が闊歩しているのだからメディアは恐ろしい。実際には、アルペロヴィッツ、バーンスタインなど原爆投下政策決定過程研究の権威によれば、当時米英軍統合参謀本部・諜報本部は「原爆使用もソ連の対日参戦もなくとも、要するに何もせずとも日本は連合軍が九州本土上陸作戦を計画している194511月以前に降伏する可能性が高い。万が一本土上陸作戦が実際に行われたとしても米軍側の犠牲者の見積もりは15千人から精々4万5千人」と分析していた。 [2] ところが60年後の世界では「数十万人の米兵の命を救った」となっている。 [3]
 

先のアルペロヴィッツらの研究によれば、日本を早期降伏させる最も効果的な方法は、降伏文書の中で天皇制の護持を保証し、ナチス・ドイツ降伏後3ヶ月後に予定されるソ連の対日侵攻計画を日本側に知らせることだと結論し、19455月に米政府閣僚会議・軍統合参謀本部はほぼ満場一致でこれをルースベルトに進言したにもかかわらず、大統領とその右腕バーンズの二人だけがこれに反対し、原爆開発を待つと主張した。原爆が戦後処理をめぐるソ連に対する最強の切り札、と期待したからである。したがって、アルペロヴィッツによれば、原爆は戦争終結を早めるどころか、寧ろ2ヶ月以上も遅らせた可能性が高いのだ。この衝撃的な論文を、私は日本やスウェーデンの大学の講義で長年教材として使用し、国際会議や新聞のエッセー連載など機会あるごとに紹介してきた。日本の学生達は史実を知って涙ぐむ。微力ながら多少役にも立ったのだろうか、今年の原爆60周年特集番組や出版物では、「原爆が戦争終結を早めたというのは神話」という理解が漸く日本では定着しつつあるようだ。アルペロヴィッツは先の論文を「従軍慰安婦、南京大虐殺、バターン死の行進等など(日本を憎む気持ちはよく分かる)。それでも広島の問題は残るのだ」と感動的な言葉で結んでいる。原爆投下問題を「日本の侵略戦争の帰結」という特定の歴史的文脈から解放し、核兵器と人類という普遍主義から捉え直そうとする知性の深さに感動する。そして原爆投下を普遍的な人類の問題と捉えた時、我々は初めて核兵器の非人道性への感性を高め、これが核不拡散体制の堅持、延いては核廃絶を追求するエネルギーになるのだ。

 
軍事戦略上の必要性もないのに無辜の非戦闘員を無闇に、しかも考えうる限り最も凄惨な方法で大量殺戮するのは、いかなる経緯にしろ「人道に対する罪」である。アイゼンハワー大統領自身、自叙伝で「原爆によって米国もナチス・ドイツのホロ・コーストと同類の所業をなしたと思うと暗澹たる気分になった」と述懐しているのだ。ところが日本ですら「日本軍がアジアで残虐行為をした当然の報い」という、それこそ自虐史観がはびこっている。この考え方は、国家を基軸に非人道的行為を容認する、という点において実は「新しい日本の歴史」教科書のような攻撃的国家主義の裏返しに過ぎない。国家主義の枠を超え真摯な人道主義の原点に立てば、南京大虐殺や731部隊を日本人だからといって擁護する必然性は何もなく、寧ろ真相究明と共に批判し反省すべき歴史の汚点である。同時に原爆投下についても、「人道に対する罪」と世界に向けて訴えることに、どうして躊躇する必要があろうか。21世紀に入り、不健全な国家主義が不気味に跋扈し始めたアジアで、国家の枠を超え、人道主義の原点に立って過去の悲劇を再検証してゆくことが、火急に求められる。各国の研究者・専門家が国家枠やイデオロギーを超えた歴史の真相究明プロジェクトを多く立ち上げ、各国のメディアや大衆に正確な史実を伝え啓蒙してゆくことこそが、アジアの将来の平和と安定に繋がる鍵なのだ。



[1] 人類破滅をも可能にする核兵器開発を手がけてしまった科学者達の反省と危機感から、英国哲学者ラッセル卿と核物理学者アインシュタインの呼びかけで世界のノーベル賞級の科学者22人(日本からは朝永振一郎、湯川秀樹、小川岩男の3博士が参加)が1957年カナダの寒村パグウォッシュに集い、核兵器廃絶・国際管理を話し合った。以来、核兵器廃絶、軍縮軍備管理の会議を毎年開催。1995年ノーベル平和賞受賞。第1回創設会議以来欠かさず参加された名誉会長のロートブラット博士(ドイツ降伏に伴い同プロジェクトを辞した唯一の科学者)がこの9月に亡くなった(http://www.pugwash.org/)。

[2] Gar Alperowits, ’Hiroshima: Historians Reassess’, Foreign Policy, summer 1995.

[3] 中国は1990年代から唐突に日中戦争犠牲者35百万人(以前は2千万人といわれた)、南京大虐殺30万人という出任せ数値を言い立てている。この35百万の唯一考えられる根拠は、毛沢東が実は旧日本軍より多くの無辜の中国人民(34千万人)を飢餓や粛清で殺したという汚名を返上する為ではなかろうか。日本は単に無視するのでなく、日中合同あるいは多国籍研究チームによる日中戦争被害実態調査を提唱し真相究明しなければ、数十年後にはこの出任せが流布していることになろう。

 

 

 

 


Prof. Dr. Masako Ikegami is Professor (since April 2005) and Director (since September 2001) of the Center for Pacific Asia Studies (CPAS), Stockholm University, and was POSCO Fellow at the East-West Center in Hawaii in April/July 2005. She holds Doctor of Sociology from the University of Tokyo (1996), and Ph.D. in peace and conflict research from Uppsala University (1998). Her research ranges from empirical analysis of defence R&D and production, defence policy-making process, strategic impact of missile defence, arms control & disarmament, to East Asian security and confidence building measures. She has published two monographs, Military Technology and US-Japan Security Relations (Uppsala 1998), and The Military-Industrial Complex: The Cases of Sweden and Japan (Dartmouth/Aldershot 1992), and co-authored many books including chapters on Japan's defence industry, 'Japan: a Latent but Large Supplier of Dual-use Technology', in H. Wulf (ed.) Arms Industry Limited, Stockholm International Peace Research Institute (SIPRI): Oxford University Press (1993), on defence procurement decision-making analysis '5. Japan', in R. Pal Singh (ed.) Arms Procurement Decision Making, Vol. 1: China, India, Israel, Japan, South Korea, and Thailand, SIPRI: Oxford University Press (1998), and 'Globalization of Defence Industries: Sweden and Japan', in Defence Industry Globalization, Washington D.C.: Atlantic Council of the United States (2002). She has also written extensively on missile defence and Asian regional security issues, including 'Anatomy of North Korean Nuclear Crisis', PRIME, vol. 19 issued by the International Peace Research Institute of Meiji-Gakuin University, Tokyo (2004), and 'Missile Defence and Nuclear Deterrence in post-Cold War Regional Conflicts' in Asia-Pacific Cooperative Security in the 21st Century, Taipei: Academia Sinica (2004). She has lectured and presented at various institutes and conferences in the US, Europe and Asia, and an active participant of the Pugwash Conferences on Science and World Affairs (Nobel Peace Prize 1995) on arms control and disarmament issue.

 

 このページのトップへ戻る    Homeへ   バックナンバー目次へ

 

©2005 Washington Japanese Women's Network. All rights reserved.