一期一会 思い出に残る人
ワイルス 蓉子
戦争が終わった翌年の東京の街は、まだ焼け跡だらけだった。 京王線の新宿駅も、プラットフォームと切符を売る(当時は切符の自動販売機はなかった)仮小屋があるだけだった。 放課後、友達と英語を習いに行った帰りに、新宿駅で電車を待っていた。 暖房にも事欠く長い冬が過ぎて春めいてきた気候に、友達と二人で浮き浮きした気分で、戦争中に禁じられていたアメリカ民謡を口ずさんでいた。 すると、後ろからそれに唱和する声が聞こえてきた。 振り返ると、髪をひっつめにして当時では珍しいスーツを着た老婦人が立っていた。 (当時、ほとんどの女性はモンペと称するだぶだぶのズボン姿が多かった。) お化粧気もない顔だが、何となく普通のおばさんと違うという印象をうけた。 我々が歌い終わると、彼女は、「好きな歌を唄える時代になってよかったわね」 と言った。 そして、「学校の帰り?」 と聞かれた。 「放課後、英語を習いに通っているのでその帰りです。 戦争中は英語を禁じられていましたから、一から習っています」 と答えた。 「貴方たちは若くていいなぁ。 参政権もあたえられたし、高等教育への道も開かれるし、頑張ってくださいね。」 私は思わず、「お名前をお聞かせくださいませんか」 と言った。 「私の名前は河崎なつ。」 そのとき、電車がフォームに入ってきたので、電車の入り口に殺到する人波に巻き込まれてしまった。 家に帰って、母に 「今日新宿駅で、河崎なつというおばさんに会った」 と言うと、母はびっくりして、「女性解放運動で有名な人ですよ」 と言った。 彼女は明治20年(1887年)に生まれた。 昭和41年(1966年)に亡くなるまで、大正・昭和を通じて婦人運動家、評論家、政治家として活躍した。 夫は歌人の河崎杜外氏である。 残念ながら、戦前の活躍についての資料が手許にないが、平塚雷鳥、市川房枝等、当時の婦人運動家とともに、女性差別に対してあらゆる迫害に会いながらも戦い続けてきたことはよく知られている。 また、紀州(現在の和歌山県)の資産家西村伊作氏が自由と芸術の教育をもとめて文化学院を開校したが、歌人の与謝野鉄寛・晶子夫妻等と共に、河崎なつ氏も設立に参加している。 (文化学院は戦時中は一時閉鎖され、建物は工場として使われた。) 戦前、女性は「家」制度に縛られて、男性より低い地位におかれ、参政権も公民権もなかった。 女性の美徳は“良妻賢母”とされ、高等教育をうけるより、夫にかしずき子供の養育に専念することと教えられた。 大学や専門学校も女子という名前がつくところしか行けず、卒業しても、「良家の子女が働くなんてとんでもない」 と、キャリアの仕事につくことはほとんど許されなかった。 結婚も25歳までは、親の許可がないと出来ず、結婚後は、財産を管理するのは夫の仕事であり、姦通罪は妻のみに適用された。 また、貧しい家に生まれた女性は、親に年季奉公の女工や娼妓に売られても、黙ってその苛酷な運命に耐えなければならなかった。 過酷な状況から抜け出そうとして逃げ出しても、日本の警察は彼女たちの味方ではなかった。 警官によって連れ戻され、死ぬようなお仕置きを受けるのが常だった。そういう運命に従うことが“孝女”と言われたのだった。そして、それが、60年前の日本女性の地位であったとは驚くべきことである。 こういう状況のなかで、女性解放運動を進めていくのは、よほどの覚悟と強い意志がなければ出来なかったことは容易に想像がつく。 河崎氏の小柄な身体からにじみ出る品格は、彼女の強い意志と西村伊作氏と文化学院を創設するような教養から生まれたものであろう。 戦後、河崎なつ氏の活躍は目覚しかった。 臨時法制調査会の運営委員に婦人のなかから選ばれた3人のうちの1人である。 ちなみに、この3人は久布落落実、村岡花子、河崎なつの3人であった。 また、戦後対策婦人委員会を市川房枝、山高しげり、山室民子らと共に結成した。 また、1962年には新日本婦人の会を、平塚雷鳥、野上弥生子、櫛田ふき、勝目テル、岩崎千尋と共に結成して、職場に見られる女性差別や、働く母親の権利と子供の生活環境を守る運動を進めた。 1966年に亡くなるまで、河崎氏の一生は女性差別との戦いであったといえよう。 新宿駅でほんの5分くらい言葉を交わした河崎氏から受けた影響は大きかった。 現在、私は反戦を叫び続けている。 現在のアメリカでは、「テロとの戦いの最中に大統領を批判してはならない。 協力すべきだ」という声も多い。 「世界の独裁政治を倒し、自由と解放を人々に与えるために先制攻撃も辞さない」 という声もある。 こういうなかで、日系アメリカ人として反戦の声を挙げていくことは、本当に勇気のいることである。 しかし、戦前の日本にも、女性解放運動に命を賭けた女性たちがいたことを考えるとき、この民主国家で反戦の声を挙げるくらいは、たやすいことだと思っている。 まさか日本の戦前の特別高等警察のように、逮捕して拷問にかけたりはされないだろうから。 「一期一会」 という言葉がある。 一生に一度しか会わなくても人間の縁は結ばれるのである。 河崎なつ氏は、いまでも私の心のなかで生きている。 |