ワシントンと私

 

〜 想定外の東京サラリーマン生活 〜

坂入ゆり子

ワシントンから東京へ

ワシントンには1991年から2004年までの12年、アメリカには通算16年滞在した計算になる。ワシントンに12年といっても、出張が多く一年の三分の一くらいは海外に出ていたので、コミュニティーに根を下ろしたという実感はあまりない。法律上は「リーガル・エイリアン」という身分で、選挙権もないことが影響しているのかもしれないし、仕事柄か、アメリカ人の友人よりも、外国人の知り合いの方が多かったためかもしれない。美しい街並みや、豊かな自然、一流の美術館などもあり、ワシントンは生活するには楽しい所だと思う。2004年に日本に帰国したのは、ヒョンなことからで、決して周到な計画を立てていたわけではなかった。2003年の5月の一時帰国の際、日本の商社から出向していた友人から上司にあたる人を紹介され、面会することになった。お昼を食べながら会話が弾み、「いつからウチへ来てくれますか。」と想定外の言葉が社長の口から飛び出した。「来年春ごろでしょうか。」と私も予想外の返事。「一月ではどうでしょう。」「分かりました、調整してみます。」と答えたものの、ワシントンを引き上げて日本に帰ってくるつもりはなかった。仕事も順調、街も知り尽くし、友人も沢山いる。それらを全て手放し、男性社会の日本でサラリーマンをするなんて。満員電車に詰め込まれる日々の通勤、極悪の住宅事情などなど。マイナス因子には事欠かなかった。さらに日本語で報告書が書けるか、議論についていけるだろうかと、とても不安だった。ましてや、まだ着任していない上司にどのように説明したらよいやら。9月に上司が着任、最高2年の外部業務許可が出たのが11月中旬、その後一ヶ月ほどの海外出張をし、後任への引継ぎをしながら実質2週間ほどで引越しを済ませ、年明け早々に帰国した。愛車は売ったものの、家具や食器などはワシントンの倉庫に眠っている。クリスマスも、正月も無い年末年始が過ぎると、東京での楽しい生活が始まった。


私の仕事

ワシントンで手掛けていたことの一つに天候変動(Climate Change)問題があった。これに関連する京都議定書には、先進国の温室効果ガス排出削減数目標を定め、目標達成の仕組みとして、場原理を活用する「京都メカニズム」(@共同実施:JI、Aクリーン開発メカニズム:CDM、B排出量取引の3つの仕組み)[1]がある。途上国や経済移行国での温室効果ガス排出を減らすプロジェクトから排出権を先進国が購入できるというもので、この温室効果ガス排出削減関連事業の調査、提言、案件の発掘などが、東京での主な仕事である。

世界の年平均地上気温は、過去100年間に0.7°C上昇し、21世紀末には平均気温は現在より1.4〜5.8高くなると予想されている[2]1980年代中頃以降、高温となる年が頻出し、1998年、2002年に次いで2003年は3番目に高い値となっている。そういえば、昨年の日本は異常気象であった。記録的な猛暑で東京では39.5度を記録し、日本列島に上陸した台風の数とその被害も記録的であった。台風の動きや発生の時期も「常識」を外れ、普通は西から東に移動する台風が、東から西に動くという迷走振り、12月には台風が日本に近づき、温帯低気圧となって列島を縦断した。その後南から暖かい空気が流れ込んだため、関東で25度を上回る「夏日」となり、12月としては過去最高の暖かさとなった。台風の大量発生と日本への上陸の理由は太平洋の海水温度が高まっているからだという説がある。台風は、通常赤道付近の太平洋上沖で発生するが、海水温度が高いため列島近くで発生したらしい。太平洋高気圧は南、東方から日本を覆うようにかかるが、昨年は高気圧が北に位置し、高気圧の南の縁を沿うように東風が吹いた。この風に乗って台風が東から西へ動いたのだそうだ。通常のコースを取らずに西へ向かった台風が日本列島に上陸した分、上陸台風の数が多くなった。

温暖化に拍車を掛けているのは、年々上昇する大気中の二酸化炭素の濃度である。日本人一人あたりの二酸化炭素排出量は年間約9トン、アメリカでは20トンで世界一の排出量となっている[3]。昨年11月にロシアのプーチン大統領が京都議定書の批准法に署名し、今年2月に議定書が発効した。先進国のうち議定書参加を拒否しているのは米国とオーストラリアで[4]、この2カ国が排出する温室効果ガスは世界の約3分の1を占めている。アメリカは世界最大の石油輸入国である。先日石油価格が1バレルあたり55ドルを超える高値を付けたが、1950年から73年まで小麦1ブッシェル(約27キロ)は石油1バレルと交換できた[5]。70年以降は、最大石油輸出国で穀物輸入国であるサウジアラビアなど中東にオイル・ダラーが溢れ、世界最大の穀物輸出国であるアメリカでは貿易赤字と対外債務が拡大するという構図が生まれたのである。最近の石油価格上昇の要因として、中国やインドなどでの石油使用量が増えていることが挙げられている。中国は日本を抜いて第2位の石油消費国となっている。石油や穀物の価格が記録的な高値を続けており、世界の経済バランスが急速に変化している。世界がますます小さくなり、グローバル化するなか、地球規模でのなんらかのイニシアティブをとらなければ、21世紀がますます住みにくい環境になることも予想される。京都遵守義務がない途上国やアメリカ、オーストラリアの今後の地球温暖化防止への貢献などへ向けて、国際社会の連携が今後更に重要となるだろう。

2005年6月東京にて


[1] @共同実施:先進国どうしが共同で事業を実施し、その削減分を投資国が自国の目標削減分に利用できる制度、Aクリーン開発メカニズム:先進国と途上国が共同で事業を実施し、その削減分を投資国=先進国が自国の目標達成に利用できる制度、B排出量取引:自国の削減目標達成のため先進国どうしが排出量を売買する制度
[2] 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による。
[3] 2000年の排出量。オークリッジ国立研究所。
[4] アメリカ、オーストラリアの州政府のなかには独自の排出規制を法制化、温室効果ガスの排出規制を導入し始めている。
[5] ワールド・ウォッチ。当時の価格は2ドル前後であった。現在の「交換」比率は19程度。



略歴 坂入ゆり子(Sakairi Yuriko) 世界銀行本部勤務。エネルギー・エコノミスト。現在は16年ぶりに帰国し、東京のナットソース・ジャパン(株)に勤務している。排出権関連のアドバイザリー業務を中心に、CDM/JI案件の発掘、及び排出権取引などの調査、研究に特化する一方、円借款事業方針などに対する提言を行ったりしている。最近はベルリンでのOECD会議でインフラストラクチャー整備と貧困削減効果についての研究発表を行った。


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ワシントンと私

あれこれ

弁護士 飯島奈絵


 2001年10月から1年、DCに暮らした。私は日本の弁護士である。15歳から3年半をニュージャージーで過ごし、英語力も一応、セールスポイントであったが、横文字にも対応できる弁護士として勝負するには語学だけでは不足であり、英米法の知識も必要不可欠と感じた。そこで、ロースクールへ留学し、ロースクール卒業後の1年、DCの法律事務所に研修を兼ねて勤務した。

今回、DCで暮らし、まず驚いたのは首都でありながら街中を(ホワイトハウスの前を)リスが走り回ること。私はいまだかつて日本でリスを見たことがない。(ついでに蝙蝠も、売っていないカブト虫もクワガタ虫も見たことがない。)

次に、感じたのはアメリカ人、そして、ここに住む日本人の方々の参政意識の高さ。日本では、多くの国民が「政治は政治家が密室で利権がらみであれこれ決める何だかよくわからないおどろおどろしいもの。」といった意識を持ち、政治に関わろうとしない。露悪的にいえば、政治に関心があるのは権力意識がよほど強いか、妙に純粋で理想論ばかりを述べる「青い」人か、宗教関係で動員がかけられた人といった意識がある。なぜこのように違うのか。単なる「国民性」ではすまないであろう。日本人も米国の政治は面白いと思っているのだから。違いは大統領選か?二大政党制か?

勤務先法律事務所で『民主主義』を感じたことがあった。クライアントの日本企業が州法に抵触した。勤務先事務所は「州法の制定手続、規制方法に手続的瑕疵がある。当該法の規制範囲は広範に過ぎる点でも問題がある。争おう。」という。しかし、日本企業は煮え切らない。日本では訴訟を提起したということ自体、新聞沙汰になる。人聞きが悪い。企業イメージが下がる。その上、監督官庁にたてついたら、どのような不利益があるか。国にたてつくとの構図も企業イメージを下げる。日本企業のそんな思考方法を説明したところ、米国人弁護士に呆れられた。「法律に瑕疵があれば、その是正を求めることは、民主主義における市民の権利であり義務でないか。」と言われた。やはり日本はムラ社会なのか、出る杭は打たれるのか。国は「お上」なのか。

滞在時期が9.11、イラク戦争の頃だったので、戦時となると街中、星条旗一色となり、マスメディアまで一致団結し、反戦運動が予想外に聞こえてこないことにも驚いた。炭疽菌騒動や無差別ライフル連続狙撃事件もあった。事件の渦中に住み、私は相当緊張した。ある日、勤務先(ホワイトハウスの隣)で避難訓練があった。午後2時にサイレンが鳴ったら、エレベーターを使わず階段で速やかに避難となっていた。2時にサイレンが鳴った。弁護士各自に割り当てられた個室から出て階段を下りる・・・が明らかに人が少ない。担当秘書の姿もない。ビルの下で担当秘書を見つけ聞いたところ、「12階から階段で降りるなんて冗談じゃない。今日はゆっくりランチを食べた後、戻らないで、避難訓練までここで待っていた。ほとんどの人がそうしている。」と言われた。担当秘書はいつも真面目でとてもきちんと仕事をする人である。この危機意識の欠如、勤務先から言われても自分で不要と考えたらやらないという姿勢。横並びの日本との違いを思った。

DCと言われ、思い出すことを脈絡なくあげた。日本へ戻ってから3年近くが経つ。会社更生やら民事再生やら企業の倒産処理が多く、目先の問題解決に追われている。従業員、取引先、顧客等、多数へ直接影響することが多く気が引き締まるが、そればかり、近視的ではいけないと、世界について考えていたDCの方々を思いながら自戒する。

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