先住民が長く暮らしていたカナダに、ヨーロッパから探検家や毛皮商人らがやって来るようになったのが16世紀頃。その後一部仏領、一部英領の時代を経て、1868年にカナダは連邦国家として誕生しました。 現段階でカナダは、10の州と3つの準州から成る、英語とフランス語を公用語とする国です。しかし現在に至るまでには他国同様いろいろな闘争の歴史がありました。特に英語系カナダと仏語系カナダの対立に焦点を当てる事で、カナダ社会の特徴を紐解くことができます。このことはカナダと隣国アメリカとの比較の意味でも重要な点となるので、今回は公用語のひとつである仏語を鍵に、私が生活するオタワ社会を紹介したいと思います。 カナダの公用語が英語と仏語に制定されたのは1960年代後半のことです。 時のトルドー政権が、長引く仏語系ケベックと英語系カナダの対立、それに伴うケベック独立運動を危惧して二言語政策を打ち出した頃に遡ります。カナダの首都オタワは、地理的にも文化的にも英語圏オンタリオ州と仏語圏ケベック州の境目に位置しており、国会議事堂の眼下を流れるオタワ川の対岸を超えれば、そこはもうケベック州です。このような地理的背景も手伝って、連邦政府内における仏語系住民のプレゼンスは年々増加しています。一聞するとオタワでは英語系と仏語系住民の共存が進んでいるように見えるかもしれませんが、現実はそれほど楽観的ではありません。 国是である二言語・多文化主義政策は、要約すればすべての人に対し差別をなくし、平等の機会を保障するという理想から出発し、今ではアメリカのアファーマティブアクションのような役割を担っています。その例として、新しく来た第3のグループの住民に対して、雇用の際の優遇処置や、 公用語の少なくとも一つを取得するための支援を各州に義務づけています。昨年カナダ移民になった私は、現在その恩恵を受けて州政府管轄の全日制フランス語学校に通っています。授業料の9割近くが州政府の助成金で賄われています。しかし仏語を学びたい英語を母国語とする住民は、社会にすでに適応可能とみなされ、公用語の無償教育ならびに助成金制度の恩恵を受ける事なく、自腹で高額な授業料を負担しています。そしてこのような現実は仏語習得に対するインセンティブを失わせる事につながっています。 ワシントンに比べると規模も小さく、犯罪率も低い、のんびりムードのオタワですが、様々な文化層が複雑に絡み合いながら、同時に多文化社会の大義名分とそのバランスをなんとか保っている状態です。そして英語系と仏語系カナダ社会の長い対立の歴史は、第3のグループの台頭と絡んで利害対立を生み、社会の至る所でオタワ住民の心の中にネガティブな感情を形成している印象を受けます。カナダの二言語政策を軸とする公的政策が各グループ間の内向化を招き、溝を深めているのではないかという指摘もあります。 仏語の難しさに辟易し、くじける事もよくあります。しかし日本人の私が、他の多くの第3のグループの住人と同様、仏語と英語の両方を駆使して交流を深める事で、文化的差異のあるグループの間の橋渡しの役割を少しでも担い、多文化主義の理想である「差異との共存」が可能な社会の原動力、もしくは潤滑油の様な存在になれるのではないか。私は密かにそんな大きな理想と可能性を胸に秘めつつ、連邦の首都オタワで今日も仏語を学んでいます。
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