06年ワシントンDCで開かれたAVONウォーク・フォー・ブレスト・キャンサーに参加
チーム・メンバーと私(右)


乳がんは怖いけど、怖くない

芦塚智子

 

私の右の乳房には2.5センチほどの傷がある。昨年夏、乳腺の周りにできた「石灰化」を取り除く手術を受けた時のものだ。マモグラフィ検診で最初に石灰化が見つかったのが確か3年前。石灰化は良性であることが多いのだが、初期の乳がんを示すこともある。私の場合は石灰化が一ヶ所に集中しており、乳がんの疑いがあるということでバイオプシー(生検、組織検査)を受けた。その時は良性と診断されたものの、その後も6ヶ月毎のマモグラフィで石灰化が乳腺に沿ってさらに広がっていることが分かり、バイオプシーやソノグラム(超音波検査)、MRI(磁気共鳴映像法)などの検査を繰り返した。ついに担当医師から「6ヶ月毎に一喜一憂するのも疲れたでしょ。ちょっと傷は残るけど、石灰化部分をとっちゃう手もあるわよ。どうする?」と言われ、手術を選んだ。

 結局、私の石灰化はがんではなかったが、検査結果を待つ間は本当に、本当に怖かった。新聞を読んでもテレビを見ても「乳がん」「がん」という言葉ばかりが目に付いた。手相の生命線が短くなったような気さえした。夫の前で「死にたくない!」と泣いたことも一度ならずある。そんな時、病院の待合室で60代の女性が私の不安げな顔を見てこう言った。「私はね、胸が両方ともないの。最初に乳がんの手術をしたのは20年前。その後、2回も再発したけど、今もこうやって生きてる。乳がんは死刑宣告じゃないのよ」。私はその言葉を何度も自分に言い聞かせた。そう、乳がんは「治る病気」なのだ。育つ前にやっつけてしまいさえすれば。

 現在では乳がんを初期に発見・治療した場合、5年後の生存率は90%を超える。実際、米国は8人に1人が乳がんに罹患するとされる「乳がん先進国」だが、1990年から2002年にかけて死亡率が毎年2.3%ずつ減少している。マモグラフィ検診による早期発見が進んだことが主な理由だという。米国では40歳以上のマモグラフィ定期検診の受診率は75%に上る。日本でも乳がんは増えており、以前は35人に1人だった罹患率が最近では18〜19人に1人になったとの調査もあるのだが、マモグラフィの定期受診率はまだ20%以下なのだそうだ。

 私の経験でまず驚いたのは、米国では乳がんを扱う医師の専門が細かく分かれていることだ。私が検査を受けたのはジョージ・ワシントン大学病院のブレスト・ケア・センター。マモグラフィの分析、MRI、バイオプシー、そして手術とそれぞれ専門の医師がおり、乳腺外科医の主治医が情報を総合して相談に乗ってくれた。日本では「乳腺外科」という独立した科目が認められたのはごく最近のことだ。医師や看護師も症状や検査の手順などについて逐一、詳細に説明してくれた。米国では乳がん手術後のキモセラピー(化学療法)で髪が抜けた時のためのかつらにも保険が使えることが多いのだという。

偉そうなことを書いてしまったが、私も最初は「石灰化(Calcification)」という言葉の意味さえ分からず、医師に「で、それは深刻なの?」と聞くしかなかった。私のような米国在住の日本人女性の相談に乗ろうと、ニュージャージー州在住の山本真基子さん(48)らが一昨年の秋、「ヤングジャパニーズ・ブレストキャンサー・ネットワーク(BCネットワーク)」という非営利組織(NPO)を立ち上げた。 (写真BCネットワーク提供:山本さん右、廣谷寿美子さん左)

山本さんは38歳の時に乳がんの手術を受けた。キモセラピーの副作用に耐えながら子育てをこなし、「もう再発しないかも」と思い始めた矢先の3年前、肺に再発。現在はホルモン療法を続けている。コロンビア大学病院にある乳がん患者のサポートグループの理事を務めた経験も生かし、言葉の壁や医療制度の違いなどから受診をためらったり不安を抱えたりしている日本人女性の助けになりたい、と考えたという。


BCネットワークが2006年10月に開いた乳がん早期発見啓蒙セミナー(写真提供:BCネットワーク) 

BCネットワークはウエブサイト http://www.bcnetwork.net/ で米国における乳がん治療・研究の最新情報、専門用語の日本語訳、米国での一般的な検査や治療の流れなどの情報を提供しているほか、乳がん経験者のボランティアがメールや電話で相談も受け付けている。特に最近は30代の女性からの相談が増えており、治療と将来の結婚、出産との兼ね合いなどの不安にも同じような経験を持つボランティアがアドバイスしているという。ニューヨークで日本から専門の医師を招いた啓蒙セミナーも開催している。日本を訪ねた際、乳腺外科やキモセラピーを行う腫瘍内科の専門医が米国に比べてまだまだ少ないことに驚き、日本の若手研究者を米国に招くフェローシップ制度の設立も計画中だ。

 山本さんは「乳がんは痛くもないし、仕事や子育てなどに追われて見過ごしてしまうこともある。でも自分や家族のために、先延ばしにせず検査を受けてほしい」と強調する。山本さんと話をするたび、そのパワーと前向きな明るさに敬服せざるを得ない。乳がんは誰でもかかる可能性がある。乳がん患者の90%は家族に経験者はいない。リスクを高める様々な要因が指摘されているが、これも大半の患者にはあてはまらないのだ。誰でもかかる病気だからこそ、サバイバー(経験者)の女性たちの強さと勇気を私は本当に尊敬する。

 大学生の頃に読んで、記者を目指すきっかけになったフリージャーナリストの千葉敦子さん著「乳がんなんかに負けられない」を思い出した。千葉さんは1987年に46歳で亡くなった。あの頃、マモグラフィが普及していたら、千葉さんはいまも活躍されていたかもしれない。そろそろ検診に行かなくては。

 

あしづか・ともこ:西日本新聞を退職後、1999年よりアメリカン大学に留学。現在は日経ワシントン支局政治担当記者。

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