『丁玲自伝』
について

 

田畑 佐和子


丁玲自伝
中国革命を生きた女性作家の回想

ISBN:9784497204158 (4497204154)
342p 19cm(B6)
東方書店(2004-10-12出版)
・丁 玲(著)
・田畑 佐和子(訳)

 丁玲の生誕百年を期に翻訳、出版した本、『丁玲自伝』について語らせていただけるというので、喜んでいます。この本が中国で出て以来、なんとか日本語に訳して皆に読んでほしいと思っていたのですが、近年ますます厳しさを増す出版事情のため、本にするのはとても困難でした。やっとそれが実現した裏には、翻訳者としての私の強い思い入れがあったのです。

 この文を読む方の中で、丁玲(ていれい)という中国の女性作家のことを知る方は、きっと少ないことでしょう。でも私の若いころには――半世紀近く前のことですが――丁玲は日本でもかなり名前の知られた作家で、少なくとも中国に興味を持つ知識人の間では、共産党政権下の新中国を代表する作家として高く評価されていました。彼女の名前は、戦後の日本に衝撃を与えたスノーやスメドレーの本に登場しており、新中国が世界に誇る女性代表の一人でもありました。ところが中国建国後10年もたたない1957〜8年の「反右派闘争」において、丁玲は中国文学界の「右派」として、攻撃の矢面に立ったのです。共産党の優等生と思われていた彼女が、中国あげての批判を浴びたことは、その作品と経歴とに惹かれて彼女を卒論に書こうとしていた私にとって、大きなショックでした。丁玲はひどい罵倒をあびたあげくに、沈黙させられ、以後ゆくえすら不明になったのです。

 なぜ彼女が批判され打倒されたのか。卒論を書くにはそれを解明せねばならないと思ったものの、その答えは当時の私にとって手に余るものでした。大学ではじめて中国語に接したばかりの、中国にも文学にも無知だった私は、丁玲に対する批判を鵜呑みにしたくはなくても、すべての批判がでっちあげだと断ずることもできなかったのです。すべては謎として重く胸に沈みました。

 丁玲の消息も途絶え、文学全般もしだいに勢いを失って行く一方、中国は激動を続け、世界の前に新たな道を切り開いているように見えました。60年代末には「文化大革命」なる未知の言葉をかかげた大動乱が始まりました。それ以後70年代末に文革が収束し、厳しい報道規制や渡航制限がゆるんで、中国の実情がしだいに明らかになるまで、私たちには中国は、濃い霧に包まれた「見えぬ国」でした。

 1979年、文革後の「名誉回復」が進む中、丁玲もまた「復活」したのです。消息が全く途絶えてからなんと22年ぶりのことでした。いちはやく丁玲の復帰を報道したのは香港の雑誌で、すっかり白髪となった彼女の写真も載っていました。それを目にした時の感動を、どう表現したらいいでしょう。ともかく、私はすぐに丁玲に手紙を書いて、22年を生き延びて来られたことを心から喜び、私の抱いてきた「謎」を伝えたのでした。丁玲の手に果たして届くかどうかも分からず、ただ書きたい気持ちに突き動かされたのです。

 幸い丁玲はこの手紙を読んで予想以上に喜んでくれ、その結果まもなく私は、北京で丁玲夫妻と会うことができたのです。「消えて」からの22年の生活を、丁玲は問われるまま快活に、率直に語ってくれたのでした。それは私の思いも及ばぬ、想像を超えた厳しい世界の物語でした。中国について、丁玲について自分がいかに無知だったかを、したたかに思い知らされたのです。

 丁玲と会ったことをきっかけに、中国(文学)と丁玲について、改めて勉強しようという気が猛然と起こってきました。しばらくはフルタイムの仕事との両立でしたが、やっと勤めを辞し、丁玲をはじめ現代の中国小説を読み、訳すことを本職とするようになったのです。

 丁玲は復帰後、高齢をおして執筆や発言をするほか、雑誌を発行するなど活躍しました。その間、求めに応じて書いた思い出や故人の追悼文など、自伝的内容の文章もありますが、まとまった形での自伝といえるものは、「魍魎世界」「風雪人間」の二つで、これを全文翻訳したのが『丁玲自伝』です。「風雪人間」の方は残念ながら著者の逝去によって未完に終わっていますが、その前半が描いているのはまさに、丁玲が批判と罵倒を浴びた「反右派闘争」の時期のことです。あの当時、活字の文章での「批判」の裏側に、こんな大規模な人間の悲劇がくり広げられていようとは。

 思えばもう半世紀も前、丁玲はなぜ批判されたのかという一粒の疑問の種が胸に沈み、22年のちにそれが芽をふいて、丁玲という強い個性を持った女性との深い交りが育ったともいえます。一方ではまたこの疑問の種があったために、私は中国現代史のあらゆる隠された闇の部分に対して、貪るような好奇心を抱き続けてきたのです。おかげで近年はそうした部分に勇敢に光を当てるようなすぐれた仕事に出会い、強い感動を味わうことができました。中でも女性たちによるそうした仕事は、ぜひとも日本でも知ってほしいと考え、その紹介や翻訳もしてきたし、新たな交流も生まれました。

 おわりに「丁玲批判」のなぞは解けたのかという問題について一言。現在の時点で、明らかになった事実、経過は『丁玲自伝』の「解説」にかなり詳しく書きましたが、まだ不明のことがあります。ということは、私の中国探索もまだ終わらないということかも。

 

丁玲著、田畑佐和子訳「丁玲自伝」 東方書店出版、2004年 定価2400円

田畑佐和子:1938年生まれ。東京外国語大学で中国語を学び、東京都立大学大学院で中国現代文学を専攻、修士課程終了後岩波書店に就職。二人の子を育てながら編集の仕事をする傍ら、ウーマンリブに共鳴してグループを結成し、アメリカのリブの言論を翻訳、出版もした。退職後は中国文学の紹介翻訳のほか、中国で「女性学」を担う女性研究者との交流も行ない、『中国の女性学』を共編訳した。現在、津田塾大で非常勤講師。


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