
私がペルー行きのきっかけとなったインカ帝国のMchuPicchu遺跡
世界遺産の街クスコからはじまって
すずき ともこ
<インカ帝国の都、標高3400mのクスコ> アメリカの大学を卒業して中米コスタリカで働き、さらにアメリカ大陸を南下して、私が初めてペルーに来たのは14年前でした。小学生の頃からインカの天空の都市マチュピチュを見たいという夢があり、マチュピチュ遺跡の出発地点であるクスコに到着。何の情報もなしに中米のジャングルからそのまま来たの行ったので、クスコが高山都市ということさえ知りませんでした。飛行機から降りると何だかふあふあして、眠気がおさまらない。どうしたのだろうと思っていたら、それが高山病だったと後から知ったくらいです。そんな私は、アンデスの民族色濃い文化とスペインのコロニアル風の洗練された文化の入り混じる複雑かつ大変興味深いクスコの街に沈没。観光は2週間の予定でしたが、クスコの魅力のおかげで1カ月になり、1年間クスコで暮らすことにまで発展してしまいました。観光1週間後にクスコの国立大学で特別日本語講座を開講する手配をして…。思い立ったらやってみる。というか、もうしている。その場に行っている。というのが私のスタイルでした。
<祭りめぐり> この観光滞在期間中に地元の人々からクスコは祭りが面白いと聞いていましたきました。かつて大帝国の都だった土地柄、文化的な行事や祭りがことかかないのがクスコ。毎週のようにどこかで祭りが行われていて、かたっぱしから祭りに行っていたつもりでしたが一年では制覇できず、結局私は10年以上も祭りの“追っかけ”をし、気が付くと写真と文章で4冊の本を出版していました。 ペルーの首都には日系人も駐在する商社マンも多いのですが、私のペルー暮らしは一般の日本人の生活とは違って、電話や電気のなく舗装道路も少ない辺鄙な山村とクスコに借りた土の家の一部屋を往復する、アンデスの人が普通にしているいわゆる“貧乏な”生活です。けれど好きなことを追いかける生活には苦はありません。富士山の山頂とあまり変わらないそんなところで毎日水シャワーを浴びていても、ジャガイモや豆だけをつつくような食事をしていても、優しい村人の笑顔に囲まれていると天国です。またお金のない人たちは、みな助け合い親切です。私はそんな村の人々からいろいろな情報を教えてもらい、文献にもない数々の奇祭に行くことができました。 祭り(前夜祭や後夜祭も含めて)で朝から晩まで飲んで食べて踊って歌って、一週間が明け暮れる。祭りでは単調な日常から抜け出した、本物の人間の魂が爆発する。このエネルギーがたまらなく大好き。私は祭りばかり追いかけているので、まさに祭りが人生になっていました。
<アンデスを超えるとアマゾン> ペルーで暮らしての大発見の一つが「アンデス山脈を超えると反対側がアマゾンの密林地帯」 社会貢献や地域開発の仕事に大学の頃から携わっていたので、キャンプ生活はお手のもとなので実は苦労はないのですが、(社会貢献や地域開発の仕事は大学の頃から携わってきたけれども、)政治家の仕事というのは、裏も表もミクロな面もマクロな面も本当に大変。とくに発展途上国では。現地にはびこる悪の手(汚職)の他、― 夫の行政区は天然資源豊富なアマゾンの観光地(各種の利益が生み出せる特殊な地域)ということもあって― 欧米先進国のNGOや企業から圧力をかけられることも、政治にかかわることが命がけだということも実感しました。
職業は?と聞かれると、私はペルーと日本のかけ橋になる仕事をしています、と答えます。肩書きはフォトエッセイストで、写真を撮り文章で取材したものを雑誌や新聞や本にまとめています。けれど長年の祭りの追っかけや僻地での生活という特殊分野で開拓したネットワークを使ってテレビのコーディネーターの仕事もしていますし、観光業にも携わっています。どれも好きな仕事です。素晴らしい手つかずの大自然や素朴な先住民と伝統文化が残っているペルーを日本のみなさんに知ってもらえるからですね。私は大きなことはできないのですが、小さいことでも私しかできないようなユニークな方法でアプローチして人生を楽しみたいと思っています。遠くで情報が少ない南米の国ペルーをやさしく楽しく伝えたいをモットーに、これからも活動を続けていきたいと思います。(写真左:私とアンデスの先住民のおばちゃんたち)
筆者略歴 http://suzukitomoko.oropendolaperu.org(個人HP) http://oropendolaperu.org(オロぺンドラ旅行社日本語あり) |