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現在、私はワシントンDCに留学中。「平和学」なるものを勉強している。なんだそれ、と思われる方も多いだろうが、平和学とは国際関係学を中心に、政治学、開発学、社会学、ジェンダー学などが学際的に交わり、いかにして「積極的平和」を作っていくか、という学問である。「積極的平和」というのは、紛争解決はもちろんだが、それに加えて「戦争がないだけでは平和ではない、貧困や差別など社会的構造的問題も無い状態があるべき平和である」という概念であるらしい。私の場合、特に「日本はいかにして世界の平和に貢献していくべきか」ということを見つけ出したく、当初2年間の予定だった留学をずるずる伸ばして勉強を続けている(現在渡米3年目)。この「平和学を学ぶ」という選択に至るまでにはそれなりに紆余曲折があった。 政治が主たる話題であり、政治に携わったり政治家志望の人が多くいるワシントンではそのことを忘れてしまうが、日本では政治の話は日常的にはあまり語られない。むしろ日本の多くのコミュニティーで政治の話はタブーであることも多いと言っても過言ではない。また、日本人同士が人権問題について熱く語ることも多くない。私は留学前、日本で社会・人権問題を取り扱う弁護士であったが、日本では「人権弁護士」という響きは、ネガティブな響きを伴うことが少なくない。今でもこちらの日本人に「人権問題を取り扱ってきました」と自己紹介すると、会話の相手はすまなそうに「えー、というと、ちょっと言い方はあれですけど、“人権弁護士”みたいな感じ、ですかね・・・」てな返事が返ってくる。 日々の食卓の話題が政治や社会問題だったりするアメリカとは違い、日本では、一部の偏った人間が取り組むこと、それが人権問題、というイメージなのかもしれない。さらに輪をかけて「平和」などもってのほかである。「平和運動」など得体のしれない人々が取り組んでいること、そんなイメージを持っている人も少なくないのではないだろうか。 ■これまでのマイライフ いまでこそ「平和学」を学ぶ私も、弁護士なりたての頃は、「平和」問題は私の取り組む分野ではないと思っていた。「平和」に興味はあったが、上記のような雰囲気もあって、「絶対にやらない」と、意味なく1人で気合を入れて誓っていた。 国際人権問題を取り扱いたくて弁護士になり、国際人権NGOのアムネスティ・インターナショナルでの活動、日本にビルマなどから逃げてくる難民申請者の事件やフジモリ元ペルー大統領下の人権被害者、そしてイラク「人質」事件の代理人をしたりしてきた。はるか昔にさかのぼれば、タンザニアの難民キャンプの高校で「Human Rights」の授業をしたこともあった。 もっとも、人権問題を取り扱う弁護士のデパートのような事務所に属してきたので、プロフェッショナルな先輩弁護士らと組んで携わった人権事件の幅は広い。刑務所の中で殺された人の事件(名古屋刑務所事件)、統一教会など霊感商法被害、過労死、女性差別、不当解雇、外国人差別、DV、医療過誤・・・。国際人権をやると決めて弁護士になったものの、弁護士になりたての頃は自分が何に一番向いているか、何に一番没頭できるか解らず、何でも手がけてみて、専門がそのうち決まると良いとも思ってきた。アメリカにいると、(とくに現地にいる日本人から)日本に人権問題はあるのかと聞かれたりもするが、受任しても受任してもきりがないほど事件の依頼は多く、また、これはきちんと社会的に取り上げる必要がある、と感じて、自ら取り組んだ出来事も多かった。 いろいろ取り組んでいくうち、社会も変わり、社会を反映する「人権弁護士」たちの手がける事件も変わったり、新しい分野が加わったりする。私が司法修習中に、9.11事件が起き、合理的理由なく在日アフガニスタン人一斉逮捕、という事件が起きた。その後、北朝鮮拉致問題などの影響もあり、以前であれば首が飛んだであろう政治家の極めて保守的な発言が当たり前のようにになり、政治的なチラシを撒いただけで逮捕・起訴されたりするような事件も起きるようになってきた。恐る恐るそんな事件の被害者を代理・弁護していくうちに、個別事件だけではなく、大きな社会・政治構造にも興味を持つようになってくる・・・。 逃げていないで、そろそろ平和に正面から取り組もうかな、そのためにも平和学を学ぼうかな、と思ったのは、人権問題を取り扱っていくうちに日本社会の変化を私なりに感じ取ったからである。個別事件を取り扱ううち、個別事件だけではなく政策に関わることが必要なのではと考えるようになった。 ■これからのマイライフは? 「平和」を語る、論じることが苦手な人が多いとすれば、それは多分イデオロギー的に、そして感情的に物ごとが語られて、それで終わってしまうことが多いからなのではないだろうか。「戦争がイヤ」というのは感情なので、運動論としては感情で良いと思う。ただ、それだけでは説得力もないし、具体的政策に反映されにくい。例えば、現在、オバマ大統領のもとで核廃絶問題もアメリカはもとより日本でも今までにない盛り上がりを見せているし、改憲議論は日本の政権交代で少し落ち着いたとはいえ、いつまでも日本の中で最大の論点だろう。しかし、これらのとてもセンシティブな話題について、政策決定に影響を与える存在にある人々が感情論やイデオロギーで対立して会話にならないのは、生産的ではない。 そこで、「これからのマイライフ」を考えるに、まったく知識も経験もない私にはとてつもない冒険かもしれないが、できるだけ具体的に、そしてプラグマティックに、現実を見据えられる平和学の専門家、そんな風になれればいいなと思っている(仕事として成り立つのか、という問題はあるが、「人権弁護士」もその点ではさほど変わらない)。まだまだビギナーであり、日本の国際政治の方向性を考える際に考慮に入れなければならないことの幅広さと量の多さに、また、既に研究されている方の研究対象の広さと学識の深さに、やっぱり私なんかには難しいかも・・・と、すでに閉口しているきらいはある。しかし、せっかくこの歳になってから大学で学ぶ環境に恵まれ、また国際政治の中枢のワシントンにいられることもあり(しかも、日米両国の政権交代期の興味深い時期に)、現実の日米政治なども体感しながら、今後の方向性を探りつつ、学び続けたいと思っている。
筆者略歴:猿田 佐世(さるた さよ)
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