アメリカで暮らして思う家族のあり方 小出 治子(Koide, Haruko) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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家族の風景

アメリカで暮らして思う家族のあり方:VIEWS 2006年夏号(第06号)掲載

小出 治子(Koide, Haruko)


私は2002年夏に渡米し、現在、14歳の息子と2人でWashington DC近郊で生活している。日本企業に勤める夫とは、日本とアメリカとで別々に生活している。渡米の直接のきっかけは私の転職だった。それまでは東京で米系経営コンサルティング会社、ボストンコンサルティンググループ(BCG)で働いていたが、2002年9月に世銀グループのひとつ、 国際金融公社(IFC)に転職したのである。

なぜ渡米を決意したかというと3つほど理由がある。1つは、かつて大学院生としてアメリカに留学していた頃から、ぜひアメリカに戻って生活したいと思っていた。卒業と同時に日本に帰国しすぐに結婚・出産が続いたため機会を逸してきたが、ここにきてIFCから仕事のオファーがあり、アメリカに戻れるいいチャンスだと思った。2つめには、息子に日本以外の世界を経験させ、英語を不自由なく使えるようにさせたいと思ったからだ。当時、息子はちょうど10歳(小学校5年生)だったので、英語が自然に身につくようにするにはこれ以上遅くならないほうがいいと判断した。3つめの理由は、私自身が少しスローダウンしたかったということだ。東京でのコンサルティングの仕事は充実しており、私は好きでやりがいを感じていたが、精神的に常に仕事に追われている感じがし、5年間勤めて少々疲れてきていた。また、精神的にも時間的にも仕事にコミットしてきたため、育児に十分力を注げていないという焦りもあり、息子が母親から一人立ちしてしまう前に、子供べったりの時間を作りたいと思った。こういったもろもろの理由が重なり、渡米を決意したわけである。

実際に渡米してみてどうだったか。この夏でほぼ4年滞在したわけだが、全体的には当初の目的をほぼ達成できたかなと自己評価している。まず、私の生活は大きく変わった。平日の夜や週末、家で仕事のことを一切考えなくて済むようになった。夕方7時には仕事を終えて、帰宅してから夕食を作って息子と一緒に食べ、その後もゆっくりお風呂につかりながら小説を読んだりできるようになった。夜もストンと眠りについて8時間はたっぷり寝ている。ダンス教室やジムに通う余裕もでて、健康的になったのは間違いない。一方で、精神的、時間的コミットメントが減った分、仕事から得られる充実感は多少薄まった感があるのも事実だ。ただ、どれもこれもというわけにはいかないだろうと納得することにしている。

息子は渡米して最初の一年間は大変苦労した。まず言葉がわからないから、学校に行っても何がおきているのか皆目わからない。授業中、自分の考えを人に伝えられないし、相手の言っていることがわからないからそれに対する反応ができない。つまりなんらインテリジェンスをクラスで発揮できないことに相当フラストレーションを感じたようだ。日本では活発でよくしゃべる子供だったし、学校の勉強も無理なくこなせていたので、かなり自尊心が傷ついたのだろうと思う。はじめの1年間は私もがんばって彼に付き合ったつもりだ。会社から帰ってまず食事を済ませ、それから毎日2時間ぐらいはその日の宿題を一緒にやった。教科書を一緒に読み、何が書いてあるかを日本語で要約して伝え、質問文を一緒に訳す。答えは息子にまず日本語で考えさせ、それを英語で書いてあげるという作業を毎晩やった。また、はじめの学期では、1ヶ月に1回ほど会社を休んで朝から一緒に学校に行き、息子のとなりに座って先生の指示を通訳してやったり、一日の流れで彼が理解していなかったことを、説明してやったりした。学校の先生ともできるだけ頻繁に連絡を取るようにした。それでも、時々は息子も疲れて学校に行く元気が出ない日もあり、そういうときは無理をさせないで家でのんびりしていいことにした。そういうことを1年半ぐらい続けただろうか。 息子も徐々に英語に慣れてきて、今ではあまり学校で苦労することはなくなったようだ。勉強のほうも数学と理科で力を発揮することができ、自信をつけていった。修学旅行でNYに行き、友達もたくさん増やしてきた。最近では「高校は日本ではなくアメリカで進学したい、大学もできればアメリカで」と言い、この9月から地元のLangley High Schoolに進学するのを楽しみにしている。このように息子と密度の濃い時間を共有できたこと、ひとつの目標にむかって一緒に努力したことで、私と息子の親子の絆は深まったような気がする。アメリカに来てから、息子はいつも家庭で機嫌がよく表情も明るいし、精神的にも満たされて安定しているように見受けられる。私にとっても、子育てに第一のプライオリティを置き、全神経を集中させて息子を見守る時期が持てたことは大変有意義だったと思っている。

ここで、日本とアメリカを比べての印象を少しまとめたいと思う。まず、20代で留学したとき、将来アメリカにぜひ戻りたいと思ったのはなぜだっただろうか。理由はしごく単純で、こちらの生活の豊かさ、余裕に惹かれたということが大きい。留学時代はコーネル大学というアイビーリーグの大学街(ニューヨーク州イサカ)に住んだ。何もない田舎街ではあるが、治安は良いし風光明媚な美しい街だった。現在はVirginiaのMcLeanという街に住んでいる。ここも治安が良く、落ち着いた小さな街である。緑が豊かで、一つ一つの家の区画も広く取ってあり、余裕が感じられる。こういう緑豊かな広々した空間に住んでいるだけで、人間のストレスレベルは大きく変わるのではないだろうか。また、文化的なものに触れる機会も多い。DCには美術館が多いし、NYまで足をのばせばさらに選択肢が広がる。そういったわけで、生活環境的には息子も私も満足している。

育児、家族といった視点で比較するとどうだろうか。日本ではよく「働く女性が育児をするのは非常に大変」と言われる。特によく指摘されるのはインフラの違いである。アメリカでは住み込みのナニーを雇うことも珍しくなく、家事も大抵はそのナニーがやるか、お手伝いさんがやってくれる。しかも、こういったサービスが比較的安価に手に入る。日本では住み込みのナニーを雇いたくても移民法の関係で難しいし、そもそもナニーに部屋を与えるなど住宅環境が許さない。保育園とその後はベビーシッターでつなぐか、両親と同居という選択肢しかなくなる。お手伝いさんを雇うのも一般化していないため、家事も自分でこなさなくてならない。したがって、お母さんはいつも疲れている。

もう1つの大きな違いは「仕事と家族のプライオリティのおき方」にあると思う。私が勤める世銀グループは公的機関で民間企業とは多少事情が違うかもしれないが、一般的に「家族」にプライオリティをおくことに対して、アメリカ社会は寛容な気がする。アメリカでは「今日は子供の誕生パーティなので」とか「子供が学校で熱を出したので」という理由でお昼ごろ退社していくお父さんたちをよく見かける。よほど緊急な仕事でもない限り、「家族」を理由にすることはきわめて日常的に行われているのだ。面白いと思ったのは、男性は「家族・子供」を理由にすることにあまり抵抗がなく、むしろ女性(つまり母親)のほうが気を使っているように見受けられることだ。あるアメリカ人女性と話したとき、「子供を理由に出張や仕事を断るのは極力避けている」と言っていた。こういった意識の土壌が出来上がっていることは、アメリカ社会の大きな利点だと思う。日本では、お父さんは子育てに参加したくても、仕事に「家庭の事情」を持ち込むことは通常許されていない。まわり(特に上の年代)がそういうことをよしとしないものだから、前述のような理由で会社を早退したら批判的に見られることだろう。このように父親たちに自由がない分、母親側がすべて引き受けることになって負担が増える。負担が増えるだけでなく、「女性は子供を理由にする」と言われ、職場での差別が助長されてしまう。男性も同じくらい「子供」を理由にできるような社会になれば、日本ももう少し女性が働きやすくなるのではないだろうか。インフラの問題だけでなく、こういった意識の差が日本を「母親が働きにくい」社会にしているのかもしれない。

私の夫は日本の新聞社に勤めている。会社に詰めている時間が長いため、家にいることは少ない。平日と土曜日は夜中すぎまで働いているので、家で家族と夕食を食べられるのは日曜日だけということになる。男性が多い職場なので、会社の雰囲気は「家のことは奥さんに任せた」という姿勢が強いようだ。当時は私もかなり忙しく、平日は家に帰れるのが夜の11時ごろだったし、出張もあった。そうするとそのしわ寄せが夫に行くときもあり、彼は会社で肩身が狭かったのではないかと思う。私の夫は子供好きだし、家族そろって何かをするのが大変好きである。そういう「家庭的な」男性でも、やはり家族を理由に仕事を手加減することは絶対にしたくないと言っていた。日本の職場環境は男性にとってもつらい場所のような気がする。

そして、うちの家族は今後はどうするのか。やはり家族が地理的に離れて生活しているのはあまり好ましいことではない。夫ももっと息子の成長に関わりたいはずだし、息子も高校生になり母親より父親から学ぶことが多くなってくることだろう。夫が渡米してもっと家庭で時間が過ごせるような仕事に変われば、健康的な家族の姿になるのだろうと思う。しかしそれは簡単なことではない。そうかといって、私と息子が日本に戻っても夫のワークスタイルが変わらない限り、以前の暮らしに戻るだけである。というわけで結論は出せずにいるのだが、今のところは、「アメリカで進学したい」という希望を明確に持つようになった息子のことを優先にしていきたいと思う。

著者紹介

小出 治子(Koide, Haruko)

津田塾大学学芸学部卒。国際基督教大学(ICU)大学院から米国コーネル大学政治学科に留学、修士号取得。第一勧業銀行、KPMGピートマーウィック(M & A部門)を経て、1996年ボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社。2002年に渡米、国際金融公社(IFC)のインベストメントオフィサーとして、開発途上国における民間プロジェクトの投融資に従事。新聞記者の夫と中学3年生の息子がいる。



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