住めば都、永住地になったワシントン 中原 まり(Nakahara, Mari) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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ワシントンと私

住めば都、永住地になったワシントン:VIEWS 2012年夏号(第30号)掲載

中原 まり(Nakahara, Mari)

移住の決意

移住の目的は、建築歴史・意匠学の研究を通して興味を抱いた、建築アーキヴィスト(建築家の図面や写真、文書などの資料を保存する仕事)の道を究めるためだった。当時の日本にはそういった職種は皆無だった。地方公務員で、首を切られる可能性などほとんどない大学の教職を捨てての決意だった。アメリカに定職があったわけではないから、移住を急く必要もなかったが、決断が鈍らぬうちにと思い、退職翌日ニューヨークに飛び立った。唯一の心の支えは、くじで獲得したグリーンカード(永住権)と私のアメリカ移住を応援してくれたニューヨークの友達だった。

仕事が居住地を決める

議事堂を背景に議会図書館で
議事堂を背景に議会図書館で

ワシントン移転のきっかけは、移住後初めてのフルタイムジョブオファーだった。しかもそれがアメリカ建築家財団の建築アーキヴィストのポジションだったから、受諾しない理由はなかった。ニューヨーク在住時も、コロンビア大学ドナルド・キーン日本研究所やニューヨーク公共図書館などの恵まれた職場で働いてはいたが、仕事はみなパートタイムだった。そんなかつかつの生活をしていたころ、ちょっとした手術をすることになった。数千ドルの請求書を受け取って初めて、ベネフィット付きのフルタイムに人々が固執する理由を理解した。フルタイムかニューヨークか?しばらく迷った。東京育ちの私には、ワシントンは少々だるい街に思えたし、誰も友達のいない所へ移るのは不安だった。最終的には、仕事を取り、2003年春、ワシントンへ移った。ニューヨークユーターンの可能性も鑑みて、念のため借りていたアパートはサブレットしておいた。「まりはワシントン州へ移るのではない、ここ(ニューヨーク)からたった4時間程度の、アメリカの首都ワシントンDCへ移るのよ」と友達は励ました。頭では理解できた。しかしやはり心の中にはまだ何かもやもやしたものがあった。

「お客さん」からの脱出

日本を出るときから、「アメリカ人はお客さんには優しいが、いざ同僚(ライバル)となると厳しいぞ」と聞かされていた。私は鈍感なのか、時間がたって過去を振り返るまで、そういう厳しさに直面していたことを感じないまま過ぎてきた。そんな性格と、友人の支え、運、そしてNothing is wasteという気持ちで、職種や給料に関わらず、何でもこなしてきたことが、今までアメリカでサバイブしてきた理由かと思う。米国議会図書館アジア部日本課の司書のポジションに就けたのは、自分でも宝くじにあったようなもの、と思っている。丁度当時働いていたアメリカ建築家財団のコレクション部門が閉鎖しかけていたときのことだから、まるで良い波をつかんだサーファーのような気分だった。もちろん当時は、フルタイムで働きながら、夜間図書館情報学の大学院へ通うなど、それなりの努力はしていた。台湾からアメリカに移住して半世紀以上を過ごした両親の友人は「移住後たった7年で公務員職に就けるのは偉い」とほめてくれた。一方日本に住む母は「貴女は、永住権といえこの就職といえ、運を使い過ぎている」と安堵した。「建築アーキヴィストの道を究めるという、移住時の目標はどうなったのだ」と自分自身に問いかけもしたが、時には自らを大海の波の流れに任せることも大切と考えた。議会図書館での司書の仕事は、例えば桜寄贈百周年を記念して企画された展覧会(Library of Congress: Sakura: Cherry Blossoms as Living Symbols of Friendship)にも代表されるように、日本の文化を広く紹介するという、とてもやりがいのある仕事である。そうこうしているうちに、元職場アメリカ建築財団コレクション部門の所蔵物が、議会図書館の建築資料を扱う部門に寄贈されて、今ではそちらの部門にも出向を依頼されるという、私はなんとも幸運な人間だ。

「幸せ」のとらえ方

結婚式の直後にコンドで。今はなきジョンの連れ子(犬)、レックス(右)とルース(左)と一緒に
結婚式の直後にコンドで。
今はなきジョンの連れ子(犬)、レックス(右)とルース(左)と一緒に

仕事で日本のことを扱っているから、ワシントンの日本人の知人もかなり増えてきた。その一人、ワシントンの日本人界に顔の広い友人が、先日「新妻会」を企画してくれた。過去3年位の間にアメリカ人と結婚した日本人女性の集まりだ。「そんなに数居るのかな?」と思ったら、なんと7名(うち一人欠席)も集まって、わいわい楽しんだ。年齢の隔たりは上下13歳ほどあったが、共通性は自分のことをオープンに話せることではないかと思った。そしてそれは、自らの幸せは自ら築き、他人がその幸せを黒白判断することが少ない、このアメリカの地に私たちが生きているからこそ可能なことと思った。私も恋愛苦労話を暴露した。異国で仕事をするのは難しいとはいえ、それは自分が頑張れば何とかなった。恋愛はそうはいかなかった。恋愛は二人の共同作業だし、言葉の壁も大きくて、気持ちがすれる時が多かった。ニューヨークへの郷愁にも、恋愛関係にも、みなリセットボタンを押して、一生一人で生きていく覚悟を決め、その第一歩としてコンドを買うことにした、というような話だ。ところがそのコンドで今では伴侶となった「ジョン」に出会うことになった。なんと彼と私の間には共通の知人たちが居ることもわかった。奇跡だった。それらの共通の友人の一人(しかも日本人)が「ご近所ン(ゴキンジョン)」というニックネームを彼につけた。主人は議会図書館で20年以上のキャリアを積む貴重本修復士で、これまた偶然にも、彼に出会った後に私は議会図書館で働くことになり、家も仕事場も「ご近所」ということになった。

永住地ワシントン

議会図書館は名前のとおり、米国議会と議員にお仕えするのが第一目的。よって建物も議事堂の真向いに立ち並ぶ。毎朝6時半過ぎ、議事堂を横目にしながら主人と二人で出勤する。議事堂は、冬の早朝は真っ暗な空の中に美しいライトに照らしだされ、夏は真っ青な空にまるで彫刻のように白く刻まれる。何度見ても、そのなんとも言えぬ美しさと、異様ほどの重厚感に圧倒させられる。私が「ワシントニアン」としての自覚と誇りを感じるのは、まさにその瞬間である。ニューヨークの青空に聳え立つ、今はなきワールド・トレード・センターを眺め、「負けないぞ、頑張るぞ」と涙を流した移住直後のあの日から、もう12年と3ヶ月が経った。

著者紹介

中原 まり(Nakahara, Mari)

米国議会図書館アジア部日本課司書。博士(工学)。図書館情報学修士。



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