ワシントン・ジャパニーズ・ウィメンズネットワークはワシントンD.C.を中心として世界中の女性、日本女性をつなぐネットワークです。
烏兎匆匆-うとそうそう-ワシントンに住んでから、今年でもう8年になりました。東京の成蹊大学に留学し、日本に約4年間住んでいました。卒業したら、北京の実家に帰って、中国で法律の仕事をしようと思っていましたが、日本の親友と先輩がある法律関係の研修プログラムを教えてくれたことが、ワシントンに来て、DCに住むきっかけになりました。
ワシントン到着後、ジョージタウン大学で法律の勉強を始め、卒業後はDCで就職。日常会話、仕事と全て英語になってしまって、日本語を忘れそうになりました。これを変えようと思って、一生懸命日本語を使う機会を作ってみました。
ジョージタウン大学の日本人学生グループをはじめ、DC法曹会という日本人法律関係者のグループにも参加しました。それに、バージニア州アナンデイルにあるジャパニーズ・アメリカン・ケアファンドや、日米協会のボランティアも続けています。
また、一回だけ会った方でも、日本語を話せるなら、それとも日本に興味を持ってる方だったら、私はその方を誘い、自ら日本語の食事会を企画し、たくさんの日本人の友達と話をしながら、DCのレストランを楽しんでいます。これを続けているうちに、友達の輪はどんどん広がっていて、DCに初めて来て1人ぼっちだった時と比べると、私は今、日本人の友達 を含めたくさんの友達に恵まれています。そのお陰で、先日もアメリカで再会した日本の友達は、私の日本語が「日本にいた時より今のほうがむしろ上手だよ」と 言ってくれました。それは私にとって最高の褒め言葉でした。
今の仕事は知的財産権関係です。国際知財会議に出席する時、日本語と中国語と英語を3ヶ国語できて、本当に便利 です。身体言語と礼儀も東西はずいぶん違いますが、言葉を分かっている以上に、3ヶ国を住んだ経験を生かし、言葉のニュアンスと言葉の真意もよく分かるようになりました。
友達の間では、私は友達が多 くて、DCで顔が広いとよく知られています。もともと内向的な私にとっては非常に恥ずかしいことですが、このネットワークを活用することで役立つこともありました。去年3月の大地震後、ジョージタウン大学ロースクールの日本人の学生たちが募金活動を始めました。私は後輩に頼まれて、バージニアのお寺の方 と、和風のパンとケーキを作ってくれる友達を日本人の友達に紹介しました。お寺の方はジョージタウン大学ロースクールでの大震災の犠牲者のための植樹式に来訪してくださり、友達がたくさんの美味しい和風のパンとケーキを作って、後輩はロースクールでそれを売って、募金を集めることが できました。私も自分が募金活動に力添えできて、何より嬉しかったです。
"If you are lucky enough to have lived in Paris as a young man, then wherever you go for the rest of your life, it stays with you, for Paris is a moveable feast."---Ernest Hemingway
青春時代過ごした場所は、人生の中でも特別な存在です。私の場合、それは東京です。ワシントンと東京と北京は、全世界で最も遠く離れている街でしょう。しかし、この3ヶ所は私の心に最も近くで、大事なところです。
成蹊大学の法律修士とGeorgetownのLLMを卒業し、中国とニューヨーク州の弁護士でもあり、現在はMuncy Geissler Olds & Lowe PLLCに勤めています。