ペレカノスが描くもう一つのDC 長沼 亜紀(Naganuma, Aki) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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ワシントンと私

ペレカノスが描くもう一つのDC:VIEWS 2014年冬号(第36号)掲載

長沼 亜紀(Naganuma, Aki)

最近はまっている本がある。ジョージ・ペレカノス(George Pelcanos)の犯罪小説である。ペレカノスはワシントンDC在住の作家で、小説の舞台の大半はワシントンDC周辺に置かれている。「ワシントンDCを舞台にした」と聞くと、ホワイトハウスや議会などが絡んだ権力闘争やスキャンダルといったストーリーを想像するかもしれない。しかし、ペレカノスが描くのは、それはまったく違う世界に暮らすDC住民の人間模様だ。

隣り合うエリートと都市貧困層

DCに来たばかりの頃の行動範囲は、バージニア州アーリントンのアパート、DC市内の大学とインターン先のあるノース・ウエスト地区(NW)だけだった。インターン先の上司に従いてシンクタンク、議員、NGO、ロビイストの事務所をよく訪ねた。国の政策作りに関わっている「ベスト・アンド・ブライテスト」たちは、仕立てのよいスーツを着て知性と自信にあふれた表情でインタビューに答えていた。でも、そこから数ブロック離れたノース・イースト(NE)、サウス・ウエスト(SW)、サウス・イースト(SE)には、主に黒人やヒスパニック(中南米出身の移民者)などマイノリティが暮らす貧しくしばしば荒れたコミュニティがあった。ローカルニュースを見たり、地元紙の事件欄を読むと、犯罪がはびこり麻薬にからんだ殺人、暴行事件が頻繁に起きていることが伝えられていた。この二つの世界は物理的には隣り合っているのに、ほとんど重なることがない。そのギャップが奇異に思えた。

しばらく経って、特にSWに暮らすようになってからは、スポットライトの外にあるDCの顔をもっと身近に感じるようになった。SWは古くからその地域に暮らしている人と新しく流れ込んだ「ヤング・プロフェッショナル」と呼ばれる若者が混在して住んでいる。アパートの近くにはいわゆる「プロジェクト」と呼ばれる低所得者用住宅がある。昼間から所在なさげに家の前でブラブラしている男性。ゴミや割れた酒ビンの破片が散らばる玄関。防犯用の鉄の格子窓の向こうにテレビの光で浮かび上がる暗く雑然とした家の中。近所のスーパー「Safeway」のレジでは、フードスタンプ(低所得者向け食料補助)を使っている人を見かける。肥満で歩けないため車椅子で買い物をしている人、カゴの中にはソーダ、ホテトチップス、パン、牛ひき肉しか入っていない人。コーヒーショップでは「妊娠しているが食べ物がない」と若い女性に小銭を求められ(でもサンドイッチをあげようとすると断られる。薬代が欲しかったのかなと勘ぐってしまう)、通りでは子供たちに「家に帰る地下鉄代が足りない」と懇願される(お金を渡すと地下鉄と反対方向に走っていく。アレレ?)。「差別の歴史」、「高失業率」、「父親不在とシングル・マザー」、「家庭内暴力・虐待」、「10代の妊娠」、「麻薬・銃」、「荒れた学校」など、相互に複雑に絡み合った問題を想像できても、実際の暮らしがどんなものなのかはなかなかイメージが浮かばなった。

馴染みの場所で繰り広げられる物語

そこに具体的イメージと共感をもたらしてくれたのがペリカノスの小説だ。登場人物は、警官、私立探偵、保護監察官、バーテンダー、コック、ウエイトレス、運転手、建設作業員、麻薬密売人などで、彼らは私の馴染みのあるDCの通りやレストランなどで暮らし働いている。(ある汚職警官は、私の近所に住んでいる設定だった。)

例えば『Drama City』の主人公は、元麻薬密売人で服役後、DCヒューマン・ソサエティで動物を虐待から守る仕事をしている黒人のロレンゾと、彼の保護監察官であるヒスパニックのレイチェルだ。ロレンゾは、売人に戻れば金を手に入れるのは簡単なことはわかっているが、足を洗いまっとうに生きようと元ボスや仲間から距離を置こうとしている。一方、自分自身アルコール依存でAA(アルコホーリック・アノニマス)ミーティングに通っているレイチェルの元犯罪者を見る目は冷徹だ。大半が生まれたときから数々の重荷を背負っており、彼らにとって朝起きて仕事に行き職を維持する「普通の暮らし」をするのがどんなに難しいことかを知っている。

同書の中で特に心に刺さるのが二人の10代の若者だ。マイケルは麻薬密売グループの見習いをしている。宇宙に興味があり本の好きな穏やかな若者だが、自分は勉強には縁がない、学校に行っても仕方ないとあきらめている。父親は誰かわからず、母親は麻薬中者で薬を手に入れるためなら誰とでも寝る。母親が見知らぬ男といるのを見るのが嫌で家に帰るのを遅らせて夜の街で先輩の売人と過ごしているうち、事件の巻き添えになり惨殺される。一方、マイケルの密売グループのライバル・グループに属するリコは凶暴な若者だ。廃屋同然の家にゴミ捨て場から拾った家具を置き一人で暮らしている。子供の頃から母親に虐待されて育ったリコの心の中には、誰かが彼のために何かをしてくれたという温かい記憶がなく、ドス黒い憎しみでいっぱいだ。唯一慕っていた先輩の売人の面目を潰されたのがきっかけで他者に対する暴力に歯止めが効かなくなる。

リコの回想シーンに次のようなものがある。リコが6才か7才のクリスマスの頃、ある店の中央に置かれた大きなクリスマスツリーに人の名前が書かれた銀色の玉がたくさん飾られていた。自分の名前を探そうとして「Ricky」を見つけたリコは、母親に頼んで「k」と「y」を消して「o」を足してもらえば、自分の名前になると考えた。

“There go my name

著者紹介

長沼 亜紀(Naganuma, Aki)

札幌市生まれ。筑波大学国際関係学類卒。米ジョージ・ワシントン大学大学院修士課程修了。北海道新聞記者、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン編集担当、東京・中日新聞ワシントン総局の現地スタッフを経て、現在、NPOの翻訳スタッフとして勤務する傍ら、フリーランスで執筆活動中。



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