Jean のこと 上野 真城子(Ueno, Makiko) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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家族の風景

Jean のこと:VIEWS 2016年秋号(第47号)掲載

上野 真城子(Ueno, Makiko)

ジーン・メイヤー(中央)を囲んで筆者(左)とユキ・モーマン先生(右、ホイットマン高校)
ジーン・メイヤー(中央)を囲んで筆者(左)とユキ・モーマン先生(右、ホイットマン高校)

出逢い

私がワシントンDCに帰って必ず会うのは、Jean E. Mayer。私にとっては祖母のような人。頑固で、ゆずらない、94歳になるアメリカ人です。私とJean の出逢いはワシントンDCです。私が東京の目白生まれで、目白平和幼稚園の卒業生であることを、目白に住まわれた方が知って、Jean に会わせてくれたのです。私はそれまで何十年の、とくにアメリカ暮らしの中で、幼稚園のことなどを思い出したこともなかったのですが、思いがけずに、幼稚園卒業から50年を経て不思議なつながりを取り戻したことになります。

なぜ目白平和幼稚園なのかというと、Jean の両親 Paul & Francis Mayerが関係しています。Mayer(メイヤー) 夫妻は、1909年(明治43年)に宣教師として日本に渡り、以来50年余、日本への伝道の使命を果たされました。1913年、東京目白(正確には下落合ですが)に目白福音教会を設立してから、主に目白を本拠地として活動されます。目白教会は1921年に最初に建設され、戦災による焼失後、再建され、1941年にプロテスタント教会合同の日本基督教団所属の目白教会となります。戦災での焼失後、1948年に再建され、現在の教会の建物は1988年に建てられたものです。同時に設立された神学校は数年前、教会裏に美しいチャペル、メイヤー・ラインガ-記念礼拝堂を建てています。付属の目白平和幼稚園は1916年に創設され、今年11月に100周年を迎えます。目白の一角に、メイヤー夫妻が切り開いた伝道のための美しい空間があるのです。

目白教会は2013年に創立100年を迎えた
目白教会は2013年に創立100年を迎えた

私との出会いに、Jean は何と喜んでくれたことか。彼女にとって、目白は彼女の最愛の、尊敬やまない両親が渾身の努力を積み重ねた場所、彼女自身、少女時代と動乱の戦前と戦後を過ごしたふるさとであり、彼女の心のルーツであるのです。

Paul & Francis Mayer のこと

Jeanの両親であるアメリカ人のメイヤー夫妻は1909年11月12日、荒れた船旅ののちに横浜に着きます。初めての日本です。その日は晴れて美しい富士山が見えたとのこと、これは幸運のしるしだと言われて、Jeanの母Francisは生涯富士を愛します。一家はその後、軽井沢での夏を過ごした時に浅間山の噴火にあったり、大正12年の関東大震災にも遭遇します。その後の日本の第一次世界大戦への参戦、戦時下の東京の人々の暮らし、憲兵に監視される日々など、Jeanが「読んで頂戴」と私にくれたFrancis Mayerが残した回想録は、外国人、宣教師の妻が見た、大正、昭和前半の、日本の姿が描かれています。正確な日付を検証すれば、翻訳の価値のあるものと思います。いつかどなたか、関心をもたれたら、読んでください。(Frances Frank Mayer. 1972. Step By Step Things I Remember. Twin Bridge Press.)

日米開戦となって、両親は敵国人収容所に入れられます。私は米国の日系人収容所のことは知っているものの、日本に外国人の収容所があったことはこの回想録を読むまでほとんど知りませんでした。そこで収容された、多くの宣教師たち、外国人たちの暮らしには興味深いものがあります。1942年の9月の早朝、警察官が彼らを拘束し、近くのカソリック系聖母病院の尼僧も乗せて、日本の同盟国の外国人以外は、田園調布のカソリックの孤児院に連れて行かれます。その後、沼津の収容所に移され、約1年弱の収容所生活を送ります。

メイヤー夫妻は1943年に、日本赤十字が出した送還船「帝亜丸」に乗り、横浜から出航します。定員700人の船は、はじめ45人ほどで上海に向かいます。香港、ハノイ、フィリピン、シンガポールからゴアに行き、アメリカ側の交換船に乗り換えました。その後、アフリカ東海岸、ポートエリザベス、そして大西洋をわたってブラジルのリオデジャネイロをまわって、最後には1503人を乗せて、82日後、ニューヨークに戻ったということです。エリス島の自由の女神を見たとき、そして、ニュージャージーで下船し、すでにアメリカにいた子供たちと再会した喜びはどれほどかと思います。この、想像に余りある船旅の様子も淡々と綴られています。その後、夫妻は宣教師としてさらに米国内の任地をまわります。その中で、米国内の日本人に対する偏見を変える努力をしています。

母上は、戦前戦後と宣教師の使命を果たすべくメイヤー牧師とともに日米間を4回船で往復したことになります。その苦労をものともせず生きた、宣教師の妻の精神の高さと仕事への献身は、クリスチャンの信仰の深さと強さを感じさせます。(戦後すぐ、日本に戻る船中で、皇太子の教育にあたったVining夫人といっしょだったとのこと、目白でも短期間、近くに住んでいて、お手伝いさんを探すのを助けたとか。)

94歳の静かな隠居生活

Jeanは1922年(大正11年)、夫妻の3番目の娘として、東京目白で生まれます。東京のアメリカンスクールを1938年に卒業、大学はイリノイのカレッジを出て、1943年から3年は海軍で働きます。1946年から1949年には東京のGHQ/SCAP(連合国軍総司令部)で文民職員として雇用されます。50年から52年にはパリのソルボンヌ大学で学び、1952年からは31年間、米国連邦政府の様々な部署で公務員として働き、1977年に退職しました。その後は現在まで、メリーランド州ベセスダの家で、ひとりで、庭仕事を楽しみながら、隠居生活を楽しんでいます。

私は、「もう一人で戸建住宅の暮らしは無理だから、家を売って、ケア付きリタイアメントホームに入ったらいいのに」と行くたびに言うのですが、断固として聞き入れません。「庭いじりをして、気ままに暮らすのがいいの、一人でやれるのだからそれでいいでしょ」と。親戚はいるのですが、遠くに住んでいます。しばらく前に玄関先で転び骨折し、動けなくなったときも、道路近くまで這って行って、道路を走る車に手を振って、病院に運んでもらったと、気楽に言います。隣家も助けてくれるし、市のケアテーカーも定期的に来てくれるから大丈夫なのだというのです。元連邦政府公務員なので、年金は一人で暮らすのには十分でしょう。「無駄遣いはしてないから、お金の心配はない。」と言います。家は住宅ローンも払い終えて、自分のものですからそれでいいでしょう。ただ今年行った時には、もう車では出かけられなくなっていて、古い車は置きっ放しで、すでにぼろぼろになっていました。

気丈な彼女は移らなくてもいいとがんばります。いかにもアメリカ人らしい、自立精神ですが、私には気がかりでなりません。ただ遠くにいて何もできませんから、余計なことは言えません。でも、彼女が喜んでくれるのは、ケアファンド(Japanese Americans’ Care Fund。 ワシントンDC圏に住む女性たちがつくる互助組織。WJWNのメンバーも活動をサポートしている。)の存在です。彼女の80歳の誕生日も、常日頃の小さなサポートも、敬老の日の集いも、彼女にとっては父母の愛した日本からの贈り物のように思えるようです。私が、いろいろな日本批判をすると、そんなことはないと、日本に加担するのは彼女です。新聞を隅々まで読み、日本のことをよく勉強し、日本食をこよなく愛します。昨夏の訪問時には安倍政権をどう思うか、天皇の生前退位をどう思うかと問われました。

今日の目白教会
今日の目白教会

彼女がここ数年で最も楽しかったことは、ご両親のつくった目白キリスト教会が2013年に100周年を迎え、教会からその祝典に招待され、東京に旅行したことです。教会の信者さんたちの心からの歓待を受けて、両親の関連した土地やお墓を訪ねたそうです。ちょうど目白にいた私もホテルで会ったのですが、小柄な彼女がうれしそうに、小鳥のように生き生きしていました。

彼女が見て、生きた時代は、特にご両親が見た時代は、日本の激動期であったわけです。戦後GHQで働いた年月も、非常に興味深い時期です。でもそれについて多くを語りません。彼女は、彼女の人生で日本と出会ったことを幸せだったと感謝して、尊敬する母上を思いながら、静かに生きたいと思っているようです。彼女がいつも言うことは、「あなたに母に会ってもらいたかったわ。どんなに喜んだでしょう」――。

          

著者紹介

上野 真城子(Ueno, Makiko)

アジア都市コミュニティー研究センター(UCRCA: http://www.ucrca.org) 代表。日本女子大卒、東京大学大学院修了、工学博士。1級建築士。元関西学院大学大学院大阪大学公共政策大学院教授。元アーバン・インスティテュート、 リサーチアソシエート。WJWN設立、Japanese Americans' Care Fund設立。政策産業、政策研究・分析評価の振興をめざす。



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