『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里著 角川書店 2001年) 宇野 聖子(Uno, Seiko) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里著 角川書店 2001年):VIEWS 2017年冬号(第48号)掲載

宇野 聖子(Uno, Seiko)

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』

数年前、友人が住んでいるチェコ・プラハを訪れることになった。しかし「チェコといえば…」の答えが「ビール」ぐらいしか思い浮かばない。世界史の授業で教科書をお昼寝用の枕にしていた私は、ヨーロッパの、しかも中・東欧の歴史なんてほとんど知らない。このままだとチェコの魅力の10分の1もわからないのではないか…そう思って手に取ったのが、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』だ。

著者はロシア語の元同時通訳者で、エッセイストの米原万里。本書には、彼女が10歳から14歳(1960年1月〜1964年10月)まで通ったチェコスロバキア(当時)の在プラハ・ソビエト学校の友人との思い出と、30年後の彼女らとの再会が書かれている。2002年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品なので、読まれた方も多いだろう。

「旅行前にちょっと勉強しておこうかな・・・米原さんの本だからユーモアと毒舌満載できっと面白いだろうし・・・」なんていう軽い気持ちで読み始めた。が、そんな軽い気持ちで読む本ではなかった。読み始めてすぐ、私は冷戦時代のプラハに引きずり込まれどっぷりとはまった。途中で本を置くことができず、一気に読み終えた。そして興奮冷めやらぬ状態のまま、インターネットで中・東欧の歴史を調べまくっている自分がいた。

リッツァの夢見た青空、嘘つきアーニャの真っ赤な真実、白い都のヤスミンカ

1960年代のチェコスロバキア・プラハにあったソビエト学校には50カ国以上もの子どもたちが通っていた。父の仕事の関係でこの学校に通っていた日本人のマリ(著者)は3人の友人、ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ、と仲良くなる。本書ではそれぞれのストーリーが独立した3編の作品となっている。

勉強以外のことは誰よりも詳しい早熟(というか耳年増)なリッツァ。嘘つきで大げさな共産主義礼賛が鼻につくけれども、気が優しく皆に愛されるアーニャ。クールな美人で学校の美術教師を感嘆させるほど絵が上手な優等生ヤスミンカ。日本人のマリを含めたこの4人のやりとりがユーモアたっぷりで、本当に小学生なのかと思うような彼女らの鋭いツッコミと慧眼にニヤニヤしてしまう。ソビエト学校の先生たちもユニークで、授業の進め方や生徒とのやりとりなどは自分の授業に取り入れたいぐらいだ。今まで持っていた共産圏の「暗い、冷たい、自由がない」というイメージが皮相な見方であることを思い知った。

しかし、やはり「ソビエト学校」という特殊な環境だ。父親が亡命者であったり、特権階級の政府要人であったりと子どもたちのバックグラウンドもさまざまで、それぞれが国の代表として自分の国やら文化やらイデオロギーやらを背負っている。それゆえに生徒同士の関係は繊細で、社会情勢やお互いの国同士の関係の変化にいとも簡単に影響されてしまう。

やがて、マリは日本へ帰国する。3人との文通はしばらく続いたが、多忙になり連絡も途絶えていく。中・東欧の共産党政権が倒れ激動の時代へ突入すると、旧友たちの無事がわからず、いてもたってもいられなくなったマリは、連絡先もわからない3人に30年ぶりに会いに行く。スマホもSNSもない時代に音信不通の友人を探すなんて無謀だ。しかし、マリはとにかく行動を起こし、次々と3人を見つけていく。再会した3人の人生は、手放しで「無事でよかったね」と喜べないぐらい、時代に大きく変えられ、紆余曲折を経ていた。

マリが3人を探している時にガイドの青年と交わした会話が心に残った。

…「たしかに、社会の変動に自分の運命が翻弄されるなんてことはなかった。それを幸せと呼ぶなら、幸せは私のような物事を深く考えない、他人に対する想像力の乏しい人間を作りやすいのかもね」
…「単に経験の相違だと思います。人間は自分の経験をベースにして想像力を働かせますからね。不幸な経験なんてなければないに越したことはないですよ」

私にとって、世界史の教科書に書かれた史実は遠い国の「出来事」でしかなかったが、この本に出会い、マリとともに3人の人生に思いを馳せることで、「出来事」が「リアル」になった。「無関心でいてはいけない。自分の運命が翻弄されなくても、経験がなくても他人に対する想像力を持つ方法はいくらでもある」と言われているような気がした。日本語でしかこの本が読めないのはもったいない。各国語の翻訳が出ればいいのにと思う。

プラハを訪ねて

朝もやに包まれたカレル橋
朝もやに包まれたカレル橋

カレル橋から見た橋塔とプラハ城
カレル橋から見た橋塔とプラハ城

数々の争いや政情の変化を経て奇跡的に守られてきたプラハの街並みは本当に美しかった。最終日に立ち寄った共産主義博物館では、「プラハの春」から「ビロード革命」までのドキュメンタリー映像が流れていた。「これがヤスミンカたちの人生を激変させたのか!」と激しく感情移入をしながら見た。何気なく手に取った本にどっぷりはまったおかげで、チェコ旅行は何十倍も楽しく意義深いものになった。

残念なことに米原さんは2006年に亡くなっている。世界が不穏な方向に進み、民族間・宗教間の争いや憎しみが加速している今の状況を彼女はどう見るだろうか。

著者紹介

宇野 聖子(Uno, Seiko)

ウィスコンシン州で4年、ノースカロライナ州で3年暮らした後、帰国。東京在住。大学で日本語教育に携わっている。



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