風化させてはならない戦争の記憶―ポーランド国ポズナンの強制収容所を訪ねて― 遠藤 十亜希(Endoh, Toake) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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風化させてはならない戦争の記憶―ポーランド国ポズナンの強制収容所を訪ねて―:VIEWS 2017年春号(第49号)掲載

遠藤 十亜希(Endoh, Toake)

ポーランド東部の町ポズナンにある旧ナチス強制収容所跡
ポーランド東部の町ポズナンにある旧ナチス強制収容所跡

「この近くにナチス・ドイツが最初に作った強制収容所があるから行ってみよう。」去年(2016年)7月、国際会議出席のため、ポーランド東部の町ポズナン(Poznan)に来ていたところ、同じく会議に来ていた友人にそう誘われた。中世ポーランド王国最初の首都であり、旧市街地にはパステルカラーの古風な建物—ほとんどが戦後復元されたもの―が立ち並ぶこの観光地に、ナチスの爪痕が残っているとは驚きだった。連日の会議に疲れ始めていた頃だったので、友人のこの誘いに飛び乗った。それに、今度こそは避けて通れない、という覚悟もあった。

パステルカラーの建物が立ち並ぶポズナン市旧市街
パステルカラーの建物が立ち並ぶポズナン市旧市街

トルコの治安悪化を受けて国際会議の開催地が急遽イスタンブールからポズナンに変更された時、この際だからクラクフまで足を伸ばして、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を訪問しようかと考えた。でも迷った。国際政治や世界平和を研究し、教える人間にとって、アウシュビッツ訪問はまたとない機会だが、その悲惨な虐殺の歴史を知れば知るほど、歴史の片鱗さえ直視する自信がなく、二の足を踏んでしまったのだ。さらに、同時期に予定されているローマ法王フランシスコの訪問に向け、アウシュビッツは一般には閉鎖されているという情報。内心ほっとした。「行かないのではなく、行けないのだ」という無責任な自己弁護である。

臆病風をふかせる私に、ポズナンの強制収容所は突如として立ちはだかった。今度こそ行かねばならぬ。偶然ではなく必然とさえ感じた。

林の中の収容所

収容所跡地(通称「第7砦」)は、観光客で賑わう旧市街地から西に4km(タクシーで約15分)行った林の中に隠れるようにして、あった。その名が示すように17ある砦のひとつで、19世紀、王の居城と城下町を防衛するため、環状に建てられたものだ。

この歴史的建造物が、1939年9月1日にポーランド国境を突破、侵攻してきたナチス・ドイツ軍に占拠され、 ポーランド人政治囚や反ナチス運動家を収監する収容所に転用された。ナチスによる強制収容所第一号だといわれている。(記念館として1976年開館、2013年に改装された。)1944年4月までの間に、推計で1万3千人(一説には4万人)の主にポーランド人がナチス親衛隊(SS)やゲシュタポによって拘束、拷問、処刑された。犠牲者数は餓死・病死を含めて、 4千5百人に及んだ。犠牲者リストには貴族から学者、画家まで多様な地位・職業の男女の名前が並ぶ。

囚人たちが絶望的な日々を過ごした独房や尋問部屋は、真夏の日中でも陰湿として冷たかった。囚人を型どった人形のオブジェが置いてある他は、施設に関する説明書きがほとんどないのが逆に想像力を掻き立てるのか、建物の中を歩いていて息苦しさを何度も覚えた。

凄惨な殺戮の場となった第7砦だが、 緑の小山が施設全体に覆い被さり、外部からは見えないようになっている。囚人たちの家族は食べ物や手紙の差し入れに訪れていたというから、この収容所の存在は知られていたのだろうが、内部での残酷な行いはポズナン市民の想像を絶していたのではないか。

緑の小山に覆われた「第7砦」
緑の小山に覆われた「第7砦」

「死の階段」
「死の階段」


凄惨の跡は収容所の外にもあった。建物の出口の横にある40段ほどの急階段は一見なんの変哲もない階段だが、囚人は重い石を抱えたままこの階段を駆け上がらされ、一番上にたどりついたところでSS隊員に蹴り落とされ、絶命した。「死の階段」と恐れられた拷問施設で、この処罰は「Polish Uprising(「ポーランド蜂起」と「ポーランド人が階段をのぼる」を掛け合わせた意味)」などという、死者をあざ笑うような残酷な名称で呼ばれた。

ガス室第一号

ガス室外に掲げられた説明<br />(ポーランド語、ドイツ語、英語)
ガス室外に掲げられた説明
(ポーランド語、ドイツ語、英語)

第7砦には、もう一つの歴史的意義がある。それは、SSがポーランド市民を大量殺戮する目的で「最初に」設けたガス室だ。1939年10月下旬から12月末までの期間(一説には12月まで)、ポズナンの精神病院から患者(老人や子どもを含む)300人を搬送し、第7砦内に設置したガス室で次々と殺害した。ハインリッヒ・ヒムラー(SS全国指導者)も執行を閲覧したらしい。

ちなみに、米国のホロコースト記念館によれば、ヒットラーは一酸化炭素ガスによる障害者の大量虐殺「安楽死政策」を1939年10月にドイツ国内で「最初に」試みたとされている。ほぼ同時期に、ポズナンではガス室で、ベルリンではバスの中で、障害者たちを「効率的に」処分する不条理な実験が産声を挙げていたわけだ。そして、どちらが最初のガス室にせよ、これらの実験の成功がアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に繋がって行ったのは明らかだ。(ちなみに、ベルリンの安楽死管理局事務所は、現在のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の所在地にある。)

ナショナリズムという「林」に覆い隠される歴史

このように第二次世界大戦やホロコーストの歴史にとっても意義の大きい第7砦なのに、訪問者が驚くほど少なく、記念館の管理、手入れも行き届いているとは言い難かった。入り口のスタッフも面倒なのか、入場料さえ取らない。往復のタクシーの運転手も「他にも良い観光スポットがあるのに」と、不思議そうに私たちをながめた。確かに、他の16の砦は、歴史館やイベント会場、ギャラリー、果てはワインバーになっていて賑わっているらしい。

翌日、第7砦に行ったことを、会議主催者の一員である恩師(ユダヤ系アメリカ人)に話すと、「ポーランド政治学会やポズナン市は、そんなに重要な史跡の存在を一言も口にしなかった」と、穏やかな彼にしてはめずらしく感情をあらわにして悲嘆してみせた。たしかに、会議参加者のために、史跡巡りツアーやナイトライフツアーなどは用意されていたが、第7砦の存在を知っていれば、もっと多くの政治学者が会議を抜け出してでも(!)足を運んだのではないだろうか。

ポズナン市民にとって第7砦はどういう意味を持つのだろう。また、ホロコーストや第二次世界大戦を今のポーランド人はどう捉えているのだろう。中東欧政治研究では門外漢の私だが、ポーランドで極右や国粋主義者が台頭してきているのは聞き知っている。彼らは国史を「負(たとえば、先祖がナチスに屈服、共謀したというナラティブ)」から「正(ナチスに果敢に立ち向かった民族の英雄という姿)」に書き換えようと躍起になっているのではないか。

現にアンジェイ・ドゥダ 保守党政権は歴史修正の政策を次々と打ち出している。中でも、ポーランドとナチスの戦争犯罪を結びつけるような表現を取り締まる(最高で3年間の禁固刑)法案を2016年8月議会に提出し、翌月通過させた。最近では、グダニスク市に新設されるはずだった第二次世界大戦博物館の計画を法廷に差し止めさせ、国内外で物議をかもした。(欧米・カナダの歴史研究者189名が公開状で抗議している。)同博物館が、ホロコーストや「カチンの森虐殺」など「国際的問題」を強調し過ぎ、勇敢に闘ったポーランド兵や市民が軽視されているというのが計画中止の理由だった。

このように、国家による歴史修正の動きのなかで、私が訪れた第7砦も、国家の誇りや栄光という「森林」に覆われ、人々の記憶から消え失せ、忘却されかけているようで、残念でならなかった。

会議を終え、ポズナンからベルリンに向かう列車の中で読書していたところ、ページの間から栞がはらりと落ちた。拾ってみると、「プラントオパール:イネ科の葉に含まれるケイ酸が化石化したもの。ガラス質で、手を切ってしまうほど鋭利、云々」との定義が書いてあるではないか。実は、第7砦を覆っている緑の中を歩いているうちに、 カミソリで斬りつけられたような傷が両足首にいくつもできてしまったのだが、犯人はどうやらこの「プラントオパール」成分を含んだ植物だったようだ。偶然に導かれどおしの旅だった。

著者紹介

遠藤 十亜希(Endoh, Toake)

横浜市出身。津田塾大学、テキサス大学で国際関係学、中南米研究を専攻。日米のシンクタンクや銀行に勤務。コロンビア大学で博士号(政治学)取得後、2002年よりニューヨークとホノルルの大学で教鞭をとる。2017年4月より、客員研究員として神戸大学に所属。著書は「Exporting Japan: Politics of Emigration to Latin America 」(2009年、イリノイ大学出版)、「南米『棄民』政策の実像」(2016年、岩波現代全書シリーズ)など。



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