アメリカで向き合った戦争の歴史 バゼル山本 登紀子(Yamamoto Bazzell, Tokiko) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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特集 海外で第二次世界大戦の歴史に直面する時

アメリカで向き合った戦争の歴史:VIEWS 2017年夏号(第50号)掲載

バゼル山本 登紀子(Yamamoto Bazzell, Tokiko)

沖縄では特攻機の攻撃を受け、終戦時には日本が降伏文書に調印する舞台にもなった戦艦ミズーリ。<br />現在は真珠湾で記念館として公開されている。
沖縄では特攻機の攻撃を受け、終戦時には日本が降伏文書に調印する舞台にもなった戦艦ミズーリ。
現在は真珠湾で記念館として公開されている。

山本提督ってだれですか?

ミズーリ州セントルイス空港から南イリノイのカーボンデールという町に向かう機上にいた。小型プロペラ機がセントルイス空港の一番端にあるはるかむこうのターミナルゲートで待っていてくれるのを見たとき、相当な田舎に行きそうだ、と覚悟はしたものの、機上からトウモロコシ畑以外なにもない景色を見続けていると、その思いが現実となってきた。国際ロータリークラブの奨学生として留学することになった1980年7月のことである。カーボンデールのローカル空港には83歳のロータリアン、Mr. Myersが奥様と一緒に迎えにきてくれていた。夏のあいだ、この優しいご夫妻のお世話になることになっている。ご自宅に向かう車の中でMr. Myersが、「これから何て呼んでほしい?」と聞くので、「Tokiと呼んでください」と答えた私。「OK」と、お二人がにっこり笑った。続けてMr. Myersが、「ところで、山本提督(Admiral Yamamoto)とは親戚かなにか?」「えっ?!」

こうして2年間の私の留学生活が幕を開けた。

田舎の大学町イリノイ州カーボンデール

南北に長い米中西部イリノイ州は、シカゴ周辺以外はほぼトウモロコシと大豆畑の農耕地である。人口2万5千人のカーボンデールは、ケンタッキー州境近くの「田舎」とはいえ、南イリノイに住む人たちの政治・医療・文化の中心である。私が大学院生となった州立南イリノイ大学カーボンデール校には、当時町の人口と同じ2万5千人の学生が学んでいて、住人の約40%が何らかの形で大学関係の仕事に従事しているという、田舎の大学町の典型だった。

私を驚かせたMr. Myersの質問は、山本五十六提督の名前を聞いて以来、初めて「Yamamoto」という名前にであって、純粋な好奇心からでたものだった。一方私は、米国に来てこのような質問をされるとは夢にも思っていなかったし、だいたい「山本五十六」のことなどいつ聞いたかも忘れていて、学校で学んだことすら記憶にない有様だった。

このMyers氏の質問は、留学中、お店の人や、医者や看護婦さん、学生からも必ず聞かれることとなった。これが日本を離れて初めて、私が第二次世界大戦を意識しだした事始めである。

Remember Pearl Harbor

当時の日米関係はというと、日本が経済で米国を「攻撃」し始めた時期だった。対日貿易収支は圧倒的に米国側の赤字となり、自動車、鉄鋼、生活需要品等々身近な分野での日本企業の優位が報道され、米国への進出が顕著になり始めていた。利率高騰で中小企業や小農家が次々と廃業に追いやられる。中西部の政治家たちがRemember Pearl Harborを叫び始める時期。留学一年後、寮をでて一軒家に住むようになりテレビを見てびっくり。12月の真珠湾攻撃日の1週間は、ローカルテレビが「戦争週間特別番組」を放映。戦争当時に作られた、日本を悪く見せる「プロパガンダ」映画が一日中放映される。中西部の田舎で米国の対日プロパガンダ映画の「観賞」初体験。そしてこの戦争週間には、日本人として第二次大戦をどうとらえているのかと、意見を求められるが、認識不足で自分の意見が言えない苦しさを味わうことになった。

「その時、ジャップは…」沖縄戦の体験語った紳士

沖縄戦の経験を語ったライト氏。右は筆者
沖縄戦の経験を語ったライト氏。右は筆者

卒業後、米国人と結婚し、彼の赴任先のイリノイ州北部のオレゴンという町に住むことになった。ちなみに、オレゴンの南にある小さな町ディクソンでレーガン大統領は育った。ここは、人口3千人、トウモロコシ畑の真ん中にある。ほぼ全人口が白人。夫の上司である初老紳士のライト氏がご自宅に招待して下さった時のこと。夕食後、ライト氏が見てもらいたいものがある、といって持ってきたのは大きな壺に入った沖縄の古銭だった。そして彼は堰を切ったように半世紀以上誰にも話したことがないという沖縄戦従軍の話を始めたのである。

この時まで私は一度も沖縄戦のことなど学んだことはなかったし、関心もなかった。夜が更けるとともにライト氏は高揚し、「その時ジャップは。。。」「それで俺たちはジャップを。。。」という言葉が飛び出してきた。が、私への差別や悪意は感じなかった。激戦地沖縄からイリノイ州オレゴンの田舎に生還し、半世紀以上も従軍体験を胸にしまったまま生活していた一人の元兵士が、日本人を間近に見て、一気に記憶が甦り、自分の体験を語らずにはいられなかった、という心理だったと推測する。些細なことが、人を瞬く間に50年前に引き戻すことを知った。大戦に対する歴史認識の不足から、何を言ったらよいのかわからない自分にここでも直面した。

戦中世代の父の言葉「真珠湾に行ければいい」

日本に住む父が転居先ハワイに初めて遊びに来ることになり、どこに行きたい?と尋ねた時に言った。真珠湾攻撃の時、父は16歳。攻撃直後に予科練(海軍飛行予科練習生)に志願合格し、特攻で出撃する予定だった、とその時初めて聞いた。私は父の戦争体験を一切聞かずに育った。日本が奇襲攻撃した真珠湾には日本人として気後れがして行きにくく、転居後3年経って、父を連れていくことになって初めて訪問することになった。行ってよかった、と痛感した。アリゾナ号に行くボート上で、日本人らしき来訪者は父と私の2人で、ほとんどが米国人だった。2002年のことだった。いまでも海底のアリゾナ号から浮いてくる油をみた時初めて、一人一人の失われた命への思いで胸がいっぱいになった。

晩年の父(89歳)
晩年の父(89歳)

予科練時代の父
予科練時代の父

戦前・戦中・戦後を体験する親を持つ私は、家庭でも、学校でも、社会においても大戦という歴史認識を持たず、直面することをあえてせず、戦争を教えない教育を受け、「日本の大戦」に関連するすべての事を居心地悪いと感じる大人になっていた。

戦艦ミズーリと特攻隊

真珠湾には、1941年の攻撃で撃沈された戦艦アリゾナの乗組員を追悼するアリゾナ記念館と並んで、日本が降伏文書に調印した戦艦ミズーリが、記念館として保存されている。沖縄戦でミズーリがカミカゼ特攻隊「ゼロ戦」の攻撃を受けてから70年の節目となる2015年4月11日、現在は記念館となっている同艦艇内で知覧特攻隊の展示が開催された。戦艦に残された特攻隊の攻撃跡を見ながら、日本降伏文書調印を行った甲板を過ぎ、展示へと進んだ。特攻隊員が母親、子供、恋人に残した遺書や手紙、詩、写真、遺留品が英語解説付きで展示されている。多くのアメリカ人が真剣に見入っている。そして私も初めて、彼らの短い一生に触れた。この日、「開戦の海に終戦の舞台」となった戦艦ミズーリ記念館にいた人たちの間には敵も味方も、勝者も敗者も、人種も国境も、非難も憎悪もなかった。歴史に直面することに期限はないんだ、遅くはない、と自覚できた日だった。

著者紹介

バゼル山本 登紀子(Yamamoto Bazzell, Tokiko)

日本研究専門司書,。ハワイ大学マノア校図書館アジアコレクション部勤務。東京女子大学英米文学部卒業。州立南イリノイ大学カーボンデール校言語学英語教授法修士。カソリック大学ワシントンDC校図書館情報学修士。リサーチライブラリアンとして野村総合研究所ワシントン支店勤務。1996年よりアメリカン大学ビジネス/レファレンスライブラリアンとして勤務。1999年6月より現職。



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