3世代・6か国にわたる我が家の移民体験 今村 弘子(Imamura, Hiroko) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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特集 移民として生きる

3世代・6か国にわたる我が家の移民体験:VIEWS 2018年春号(第53号)掲載

今村 弘子(Imamura, Hiroko)

私は高校まで日本で育ったが、その後40年間はアメリカに住んでいる。大学留学時代の同級生と結婚し、中国から双子の女の子を養子に迎えたが、昨年その子達が高校を卒業して、私の子育ても一段落した。最近は、このままアメリカで一生を終えるのか、など自分の残りの人生の事もいろいろ考えるようになった。その過程で、私だけでなく、私の夫、夫の両親、夫の妹、そしてこの双子の娘達のこれまでのそれぞれの人生を振り返ってみて、我が家は3世代で実に6か国に亘る「現在進行形の移民」で構成されている家族なのだと実感した。

米国で出会い国際結婚した義父母

まず義父はインド生まれ、1950年代半ばにインドの大学を卒業後、アメリカの大学院で金融を学ぶため単独、学生ビザで渡米した。義母は旧ドイツ領(現ポーランド)生まれのユダヤ人、1930年代後半ナチスドイツの迫害が強まる中、8歳の時に両親と3人で船でニューヨークに逃れてきた。義母の父親は検眼医だったが、渡米後は自分の専門を生かせる仕事に就けず苦労しているうちに、糖尿病を発症して若くして亡くなった。義母の母親は渡米後は生計を助けるためニューヨークの病院で掃除婦として働いた。義母はニューヨークの公立小学校、中学、高校を経てマンハッタンのハンター大学で学士号、さらにニューヨーク大学で国際関係の修士号を取得した。インドからの留学生だった義父と出会い結婚したのはその直後である。

義父母は最初の子供、つまり私の夫が生まれる直前に、イスタンブール経由の貨物船に乗せてもらい、インドの義父の故郷に戻った。その直後、1960年に夫はインドで生まれた。渡米後ドイツ国籍を剥奪され米国籍を取得していた義母は、私の夫を出産後、何時間も汽車を乗り継いでカルカッタの米国総領事館に出生届を出し、夫は米国市民の証明書を得た。

義父は夫が生まれた後しばらくインドで就職先を探していたが、アメリカ留学経験を生かせるような職場が見つからず、結局夫が生後6か月の時、親子3人はアメリカに戻った。2年後に夫の妹が生まれ、それ以来時々インドを訪れたものの、一家はアメリカに定住した。しかし、夫が小さい頃、義父はいつも「いつかは家族皆でインドに帰る」と言っていて、購入する家電などはすべて二重電圧(アメリカとインドとどちらの電圧にも対応した物)だったそうだ。

それから半世紀たった今、義父母は80代後半となり、小さな家に二人で暮らしている。義母は認知症が進行中、足腰も弱りほとんど車いすの生活である。義父は頭もしっかりしていて、特に悪いところもなく、家事や義母の世話をすべて一人でこなしている。介護施設や老人ホームには入らないと言っているので、私や夫がこの数年様々な形態の家庭内介助ヘルパーさんを試みたのだが、いずれも長続きしない。と同時にインドで余生を送りたいという思いが強くなり、インドに住んでいる弟や甥数人に毎日のように電話をかけ、住居の手配や使用人を雇う相談をしているが、それも未だに実現していない。

「ふるさとは遠きにありて思うもの」―その思いが今の義父の生きる糧となっているようである。その姿を見て、移民として半世紀以上、人生の大半をこの国で過ごしていても「いつか故国に帰りたい、ここは自分の終の棲家ではない」という強い思い入れのある人がいるのだという事に驚いた。と同時に、ひとたび「移民」として一つの国から別の国に移り住んだとたん、人は誰でも「二つの祖国、二つの故郷」の狭間で悩む事になるのか、故郷として思いを馳せる場所、自分の文化や家族の拠点が二か所あり、それによって精神的には豊かであるのと同時に、どちらを選んでも100%の帰属感はなく、常に心の葛藤を感じながら生きる事になるのか、などと義父の姿を通して考えさせられている。

夫はインド生まれ、米国育ち

私の夫はといえば、上記のように生後6か月でインドからアメリカに移住し、以後半世紀余りずっとアメリカで暮らしている。自分の父親の母国語であるヒンズー語も、母親の母国語であるドイツ語も話せない。義父も義母も、母国語で子供達に話しかけたり、自分の宗教や文化の話をしたりする事はなかったそうだ。夫の分析によると、主な理由は三つある。

第一に、夫の両親の間にはお互いの母国語や宗教・文化的背景(ヒンズー教やユダヤ教に基く)を認め合って、それを積極的に子供達に伝えていこうという合意がなく、むしろその多言語・多文化が時として夫婦間の摩擦となっていたという。第二に、当時は小さい頃からの第二言語や第三言語の習得は第一言語の習得の妨げになるという意見が主流だった。第三に、その頃はまだ「移民は移民先の国の多数派の文化、そしてそこの人種の坩堝に融け込むべき、それによってその社会で受け入れられ、成功できる」という風潮が主で、今のように「祖国の言語・文化を保ちつつそれを移民先に持ち寄ってそこでモザイク社会を形成してゆく」という考え方は少数派であった。したがってアメリカで育てている子供に自分の母国語や文化を継承させようとする親の努力を奨励して支えていくようなネットワークも、今に比べれば格段に少なかったようだ。

義妹はこの家族の中で唯一、米国内で生まれた「移民ではないアメリカ人」である。ところが面白い事に、この生粋のアメリカ人が最近イギリスに移住してしまった。義妹は大学まではアメリカだったが、大学院でイギリスに渡りエジンバラ大学で経営学修士号を取得した。その後もイギリスに残りたかったらしいが、就職やビザなどがうまくいかず、アメリカに戻っていろいろな仕事をしていた。ところが10数年前、彼女が40歳を過ぎた頃突然「ドイツ国籍を取る事にした」と宣言した。

彼女が調べたところによると、第二次世界大戦後のドイツの法律は「旧ナチスドイツ政府によって不当にドイツ国籍を剥奪された者およびその子孫にはドイツ国籍を取得する権利を授ける」と定めているという。夫や義母は半信半疑であったが、義妹はその数か月後、本当にワシントンのドイツ大使館からドイツ国籍証明書とドイツのパスポートを手にした。それによってEU加盟国ならどこでも働ける事になり、英国航空に仕事を得てイギリスに居を移した。それがもう10年以上前の事になる。ところが今回、イギリスがEUを離脱することになったので、義妹はその後もイギリスに留まれるようにと現在、英国市民権を申請中である。

養子に迎えた双子の国籍は?

私たちの双子の娘達は現在18歳、生後8か月の時に中国から養子に迎え、その時点で中国籍から米国籍になった。養子縁組完了後、在米日本大使館に日本国籍が取れるかどうか問い合わせたところ、日本人のお腹から生まれていないので日本国籍はもらえないという事だった。

双子の娘達はずっとアメリカで育ち、彼等が小さい時には何人ものベビーシッターさんの力を借りた。私は当時ワシントンの世界銀行に勤めていたので、そこの電子掲示板でベビーシッター募集の広告を出すたびに、バングラデシュ、ブータン、コロンビア、日本、マセドニア、トルコ等、様々な国の出身の女性が来て下さり、それぞれのお国のやり方で(?)献身的に娘達の世話や家事をしてくれた。彼女達が皆、合法移民で就労資格があったのかどうか私にはわからない。わかるのは、このように様々な国から移住して来た人達が私達家族の毎日を支えてくれなければ、私が仕事を続けながら子育てを乗り切る事は出来なかったという事だ。

この娘達も最近、ドイツ国籍を取得し、昨年家族でヨーロッパ旅行をした時にはドイツのパスポートでドイツに入った。中国人の顔でドイツ語での受け答えがまったく出来ない双子の女の子にドイツのパスポートを提出されて、入国審査官も苦笑していた。日本国民である私の子供なのに日本国籍をくれなかった日本政府と、元ドイツ人の孫(しかも血縁関係のない)にまで、そしてさらにその子孫にも永遠に(?)ドイツ国籍を与えると決めたドイツ政府、この両者は極めて対照的であり、私の思いは複雑だ。いずれにしても、これで娘達はアメリカだけでなくEU加盟国のどこでも永住・就職出来るわけで、将来の選択肢が飛躍的に広がった。それが何と幸運な事かを娘達が自覚し、それを踏まえて各自の夢を実現させるべく、文字通り世界に羽ばたいていって欲しいと願っている。

未来世代に期待する多様性

というわけで、我が家の「移民体験」は夫の両親、夫と私、夫の妹、そして娘達、と3世代に亘り、計6か国(インド、ドイツ、アメリカ、日本、中国、イギリス)が関与したものとなっている。この後、私と夫はアメリカに永住する事になるのだと思うが、娘達、そしてさらにその次の世代にいたってはどこに移住・定住する事になるのだろうか。そして、その時に彼らを受け入れてくれる社会とは、いったいどのようなものになっているのだろうか。私には想像もつかないが、その可能性、多様性を考えるだけでワクワクしてくるのだ。

著者紹介

今村 弘子(Imamura, Hiroko)

東京生まれ。雙葉学園高校在学中1年間アメリカのフロリダ州に留学。ウィリアムズカレッジ、コロンビア大学法科大学院を卒業後、ニューヨーク州の弁護士資格を取得。マンハッタンの法律事務所でビジネス法務、その後ワシントンの世界銀行で南アジアや中東の開発プロジェクトの法務などを担当。



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