花糸に囲まれて 相川 幸子(Aikawa, Sachiko) - WJWN(Washington Japanese Women's Network)

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花糸に囲まれて:VIEWS 2019年冬号(第56号)掲載

相川 幸子(Aikawa, Sachiko)

すっかり虜になったデンマーク刺繍の数々。右下の作品は今取り組んでいるもの。
すっかり虜になったデンマーク刺繍の数々。右下の作品は今取り組んでいるもの。

朝の家事を終わらせ、コーヒーを片手にいつもの場所に座ると、私は色とりどりの糸を手にして、刺繍の世界に入り込む。夕食の片付けを済ませ、ゆっくりソファに腰掛ける時間にも、刺繍グッズの籠と老犬が一緒だ。3度の海外生活も昔となり、3人の娘も独立し、4人の親を見送る日々も過ぎ去り、自分の時間は確実に増えた。遠くの娘たちから嬉しいニュースが届くこともあるが、日々の暮らしは不安や心配がないこともない。そんな時に、さて次は何を刺そう、どんな色で刺そう、と考えながらひとたび糸を手に取ると、ひと針進むごとに心は穏やかになっていく。幸せを噛みしめる時間だ。

きっかけ

アメリカで娘と刺した最初の作品、すずらん。
アメリカで娘と刺した最初の作品、すずらん。

娘が仕事で苦労していると聞いて元気づけのために渡米し、気分転換にと手芸屋さんでそれぞれ選んだのがクロスステッチだった。ブルーのグラデーションで描かれたすずらんは、ロシアの刺繍キット。母娘であれこれ話しながらチクチク刺しているうち娘も程なく元気になり、私は帰国した。最初の作品であるこれをフレーミングし、一階のトイレに飾ってみたら壁紙とマッチしていい感じだ。もうひとつ購入して来ていたかぼちゃと猫のポップな絵柄の作品も程なく仕上げ、ハロウィンの玄関の飾りの一つに加えた。この頃にはもうすっかりクロスステッチの楽しさにはまり、日本でお気に入りの手芸店の額付きキットを次々に制覇することになった。

2つ目の作品、ハロウィン(中央)。背景には様子を伺う老犬も。
2つ目の作品、ハロウィン(中央)。背景には様子を伺う老犬も。

デンマーク刺繍との出会い

ある日仙台に住む娘が、青森で結婚した夫のお姉さん夫婦にぴったりのデザインをみつけたから刺繍してもらえないか、と頼んできた。緑の木々の間を自転車で進む2人という図柄だ。いいよ〜、と安請け合いし、娘が指定したネットショップでキットを注文したものの、一ヶ月経ってもなかなか届かない。問い合わせなきゃ、と思った矢先、ポストに届いたのが、デンマークから直接取り寄せられた品物だった。中を確認すると、デンマーク語、英語、ドイツ語などで書かれた説明書と図案、今まで刺したことのないような細かい織のリネンの布、そして何とも言えぬ柔らかく美しく微妙な色合いの糸が出てきた。これが私と花糸との最初の出会いだ。

普通日本で行われているクロスステッチでは、6本どりの25番刺繍糸のうち2本を使って四角ひとマスに×を刺す。デンマーク刺繍で用いる花糸はというと、2本分の太さがあるため、目の細かいリネンには細かい4マスを一つと見立てて1本どりで×を刺してゆく。マス目を数えるのも、間違えないように刺すのも一苦労だが、仕上がった作品をみると、我ながらうーん、と感心してしまった。

デンマーク刺繍との出会いとなった自転車の作品。
デンマーク刺繍との出会いとなった自転車の作品。

自然な風合いを持ち、艶のない柔らかなこの木綿糸で刺すと、自然の風景、特に木々の葉っぱ一枚一枚が生きているように見える。4マスを一つとするから、半マスごとにずらしたり、縦長の×や横長の×を自在に組み合わせたりすることも出来て、よりリアルな情景を作り出していける。そして全体の色数は少ないのに、緑系だけは色合、濃淡で他のどの色よりもバリエーションが豊富というのも面白い。だからこそ木々や草花をよりリアルに美しく再現できるのだろう。

巨匠の作品との出会い

デンマーク刺繍の虜になった私は、まずは手芸本を次々集め出した。巨匠と呼ばれる作家らが作り出した伝統の図柄と言われているものがあり、自転車の作品はそのうちの一人Gerda Bengtssonのものだったことも判明した。1928年に設立されたデンマーク手工芸ギルドは王室の庇護のもと、多くのデザイナーを輩出している。花糸という名称も、可憐な草花の描写を得意とするGerdaにちなんで生まれたことを知った。また彼女は、公園や自然の中で遊ぶ人々の躍動感あふれるシーンを一枚に切り取るのが上手だ。実際に刺してみると、それ程多くない×の並びだけで、よくこれだけ人々が生き生きと見えるものだ、と感心してしまう。他にも、過去の膨大な人々の作品から、色合の美しいデンマークの建物、船、地図のシリーズをまとめたIda Winckler、様々な種類の花を寸分狂わず綺麗な丸いリースの形に収めたIngrid Plumなど、巨匠たちが編み出した図柄は、何年も愛され続け、世界中の刺繍好きの人に刺されているということもわかった。おばあさんになるまで心打つデザインを生み出し続け、まとめあげてくれたこの巨匠たちの作品に出会い、わくわくしながら刺し始めた私も、いつの間にかおばあさんだ。

これからも

刺繍、編み物、ジャズピアノ、と趣味が多い私だが、そのどれに対しても共通に持ち続けている気持ちがある。圧倒的に美しい色合いや音に感銘し、それに少しだけ近づこうとすること、自分はまだまだ、と謙虚な気持ちを忘れないこと、そして諦めずに集中して一生懸命やること、この3つだ。娘に職人みたいだね、と言われるのも何だか嬉しい。目と手と頭と心を使って、1日でも長く至福の時間を過ごしていきたいと願いつつ、今日も糸を選ぶ私だ。


著者紹介

相川 幸子(Aikawa, Sachiko)

神奈川県出身。夫の赴任に伴う5人家族での3度の海外生活を経て、現在は都内で夫と犬と暮らしつつ、国内・国外でそれぞれ奮闘する娘たちを見守る。趣味は、手芸、庭いじり、ジャズピアノ、サッカー観戦。



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